好きなことと、得意なことのどちらをすべきかという問いがある。
好きなことと得意なことの、どちらかをすべきかという問いがある。
林修さんは、「得意なことをして、好きなことは趣味でやるべきだ。自分は現代文を教えるのは好きではない。むしろ初めて予備校講師になったときに教えていた科目は、数学だった。しかし、現代文を教えるのが得意だったから科目を変えた。その結果、今ここにいる。」と述べていた。
メンタリストDaiGoさんは「まず、得意なことをしなければ、そもそも社会に出られない。認められた後に、稼いだお金や知恵を使って好きなことをすれば、幸せになれる。順番を間違えて、先に好きなことで成功しようとすると、売れないバンドマンみたいに貧乏になる」と述べる。
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たぶん僕は僕が思っている方面では成功できない。文章を書きたいと思ったとき、2つの方面に憧れた。1つは鮮やかに現代社会が抱える問いを浮かび上がらせ、それを圧倒的な知性で解く書き手。ビジネス書で敬愛する著者なら山口周さんが該当する。
もう一つは、緻密な人間観察に基づいて、感情を揺さぶるような心情描写ができる小説。湊かなえさんなどが該当する。高校1年生の頃から、1,000冊以上の本を読んできた中で、これら2人の著者に強く心を揺さぶられた。
こんな文章を書きたいと熱望した。
日本語で文字数を稼ぐのではなく、語彙力や知識量だけでもない。
観察力や知識同士を繋げる発想力など、高い視座を持つ書き手だった。
文書ではなく、考え方や感動を売っていると感じた。
そのような意味で、自分がやっていた1文字1円〜1.5円で文字を埋めて日銭を稼ぐライターとは質的に次元が違うことをしていると、畏怖に近い感情を持った。
大学に入ってから、人目に触れる場所で文章を書くようになった。
コミケに出展する文書や、書評記事などお金をもらうものから、ここのnoteみたいな場所にも無料で趣味でも100本以上書いた。
その中で、嬉しいことに「これよかった!」「また読みたい」と感想をもらえることも何度かあった。嬉しくて全部スクショした。
褒められるのは鋭利な分析でも、心を動かす小説描写でもなかった。
エモいと言われるようなエッセイに、自己啓発風の切り口を加えた文書がバズった。
バズる文章には、ほぼ同じような特徴があった。
読んでもらえるのは感情を込めて叫びつつ、新しい知識も提示できるようなこのような文書だった。
バズるのは嬉しい。
でも、たぶん僕は自分がなりたかった書き手としたは評価されない。
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好きなことと得意なことの、どちらかをすべきかという問いがある。
たぶん、僕も得意なことをするべきなんだろう。
人から評価してもらえることをするのが正解なのだ。
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