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「主人公になりたい」という子供じみた自意識を捨て去りたい。

子供っぽい自意識を完全には捨てきれていないから、大学にいた頃も、仕事をする時も「他の人より成果を出したい」と思ってしまう。たぶん、人生の主人公になりたいのだろう。

でも、高校以降で所属している集団は同じ難易度の入学試験や、入社面接を突破している集団なので、自分と同じかそれ以上に優秀な人が集まっているし、先輩はその優秀さの上で数年間ある熱量と時間を掛け続けてきた人だ。だから、1番になるどころか、人より劣ることも多々あった。

その度に心のどこかが、しょんぼりしてしまうことがあるのだけれど。RPGのボットを相手にしているのではないのだから、何かのたびに勝てるわけがないのは当たり前だ。だからしょんぼりする時点で、心のどこかで自分を特別視しているのだろう。

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ところで、大学の心理学の授業の雑談で、ニートは「自分は特別」という自意識が肥大しすぎて現実とのすり合わせに失敗した結果、現実と関わることを辞めた成れの果てだと聞いたことがある。

高校を中退して2年間ニートをしつつ、「中退したけど、偏差値75の中高一貫校にいたし、全国3位だったし」という過去の栄光を拗らせすぎていた僕は、教室の隅っこでとても心が抉られた。

早稲田大学の入試の当日に、「高校を中退してから2ちゃんとTwitterしかしていなくて落ちる」という現実と、高校受験の際に早大の附属を滑り止めにしたプライドにすり潰されて、入試会場まで行かずに山手線を1周して図書館の隅で震えていたことがあったから。

あの時の僕は、現実と自意識が擦り合わせられなくなって、現実から目を背けて部屋に引きこもり続けていた。心理学の授業で、先生にとっては雑談のつもりが、流れ弾がぶっ刺さって人知らず傷ついていたのはそんな理由からだった。

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話が逸れるが、そんな状態から、大学を卒業する時には恋人と泊まりで旅行に行ったりできたのは、完全に運に恵まれていたからだろう。

恋人が、自分のことを好きになってくれたおかげで、こんなに幸せな大学生活を送れるのが、夢みたいだと、夜の江ノ島から夜景に見惚れる恋人の横顔を見ながら、僕は恋人の横顔をバレないように見ていた。

男子校で、しかもそれすら途中で中退した僕にとって制服デートはアニメでしか見たことがない概念だった。大学で恋人ができなければ、大学生の時に恋人とデートしたり旅行に行くというイベントも、空想上のフィクションのようなものとして、その後の人生を生きていくことになったのは想像に難くない。

子供が産まれると、それまで風景として意識していなかったベビーカーを持って歩いている夫婦が目に入るようになるというが、恋人と出掛けることがないと、インスタやYouTubeのデートスポット特集などは他人事の風景だった。


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