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少し余白を残すことについて

少しだけ背伸びしたいと思っています。

例えば、何かについて学ぶ時に自分が楽に取り扱えるテーマより一回り難しいことに取り組むとか。

すると失敗する事も出てくる。恥もかく。大学の発表では同じグループのメンバーに迷惑をかけそうになる事すら出てくる。

ところで、質問ができない発表を作りたくなるんですよね。
でも、本当にいい発表って聞いた後に質問できる余白が少し残してある気がします。

発表で100%の完成度で、聞き手にとってもうどこにも手をつける隙間が無いプレゼンが理想かというと、実は逆だ。
質問できないということは、聞き手にとって引っ掛かるフックがプレゼンの中で仕込めなかったことと同義だ。

聞き手がいるなら、聞き手に「自分が参加したからこの発表は良くなった」と思わせるような発表をするのは、礼儀だと思うんです。

ただ、「こんなにすごい俺の発表をみろ」って見せつけるのは公開オナニーと変わらない。
自分が気持ちよくなるためだけにするセックスが、相手の体を使った自慰行為であるのと同様に。
他者がいるなら「あなたのおかげで、こうなった」という、余白を残す。

高校時代に全国でも有数のディベート部に席を置いていた。そこで4月に新入部員に向かって「いいか、完璧な発表を作るな。突っ込みたくなる余白を残せ」と部長が教えたことを今でも思い出す。

聞き手は何も発言しないで自分が馬鹿だとか、何も仕事をしていないとか思われたく無い。
だから、どんな完璧な発表を作っても必死に粗探しして何か突っ込んでくる。

完璧に論理を組んでいる分、無理に頭を捻って、こちらの予想すらしなかったツッコミがされると戸惑う事がある。それを避けるためだ、というのだ。

完璧に論理を組めるのに、あえて余白を残す。
「ここに、突っ込めますよ」と気づく人なら気付けるくらいに残しておく。
すると、我が意得たりとばかりにそこに突っ込んでくる。
しかし、それはこちらがあえて空けておいた余白なので返答も傷ひとつない宝石のように綺麗なものを打ち返せる。

結果としてジャッジから見ると、質問に立て板に水のように滔々と答える非常に知性が高いディベーターのように見える、というのだ。

なるほど、と心から納得したし、私たちの学年もありがたくそのテクニックを活用してディベートの大会は勝ちに勝ちを重ねていくつもの大会を荒らしまくったものだ。

大学に入って、マーケティングの大会で優勝常連校のゼミに入っている友人ができた。
何かの拍子に、この話をしたら「実は私のゼミもだよ」と返された。

質疑応答があるならば、相手の知性や感性に合わせて質問できる空白を取るのが礼儀だと思うんです。

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