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現代において瞑想は悟りを開くためではない。生産性を最大化するためだ。

現代において瞑想は悟りを開くためではない。生産性を最大化するためだ。
以下に、そのように考えるに至った論理を述べよう。

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Googleが社内研修で瞑想を取り入れた、などの流行。別に悟りを開いた社員を増やしたいわけじゃない。スマホが普及する前まで、何もしない時間があった。1日の隙間時間に、ぼーっとして過ごす余白があった。しかし、スマホの普及で隙間時間ができたら、LINEやニュースをチェックするようになった。

脳みそは、1日に入力できる情報に限りがある。たくさん入力すればするほど、賢くなるわけではない。情報に溺れて、過剰に疲労してしまう。

1日14時間常にインプットしている人が、7時間しかインプットしていない人よりも、倍も賢いかというと、そうでないことが多い。

むしろ、ぼーっとする余白の時間がないと、脳が疲労して意思決定の質も下がる。

本人は頑張っているつもりなのに、なぜか成果が出ないという状態がこれだ。
息を吐く暇も無しに、次から次へと資格試験に挑戦しているのに、なぜか年収が高くない人は割と多いが、それもこの構造に陥っている。

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別の観点から述べよう。
ネットワークビジネスや、ネズミ講に落としたいときは、相手が少し理解するのが難しいくらいの情報量を捲し立てることで、情報負荷を掛けて無理に決断させるのも、これを逆手にとっている仕組みだ。

企業に例えるなら、
目先の売り上げを上げるために、新宿の飲み屋でキャッチが休まずにお客さんを捕まえようとするのが、これに近い。

しかし、重要なのはそんな目先の行動より、お店の内装や料理を改善するなど、より戦略という高い視点に立った行動だ。

しかし、視点の高い行動は、情報を詰め込まないという、余白がないと生まれない。
卵が先か、鶏が先かという問題に近しいが、本当にそうなのだ。

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話をGoogleの瞑想に戻そう。
現代において、瞑想とは悟りを開くためではない。
意識的に情報を遮断する時間を作ることで、脳みそに考える余裕を与えるためだ。

なんか疲れすぎているし、ゆっくり考える余裕がないと、思った時は、通勤電車やお風呂、トイレの中くらいではスマホを手放し、ぼーっとすることを実践したい。

だからこそエリート企業や、メンタリストDaiGoが推奨する。
瞑想は、現代において瞑想は悟りを開くためではなく、生産性を最大化するためだから。

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