見出し画像

誰よりも理性的に発狂する人を、天才と呼ぶとして。

 小説です。そう思って読んでください。
**

 せいぜい偏差値70程度くらいの高校に通っていて、自分のことをなまじっか頭が良いと恥ずかしい勘違いをしたまま大人になってしまった、中途半端なガリ勉にしか会った事がない人には、決して分からない事がある。

  本当に頭がいい人は、とても感情的だという信じ難いこの世の真理だ。

 偏差値75を超える進学校に「ここより偏差値が高い高校はないから」と、仕方なしに入学した天才たちに会った事があるか。

 高校1年生のときに、高校3年生に混じって東大模試を受けて、圧倒的な合格点を叩き出し、「日本には飛び級制度がないから、18才になるまで有意義な暇つぶしをしてやろう」とニヤニヤ笑いながら高校で愉快な知的暇つぶしを探す同級生が隣の机だったことはあるか。

 僕がいたのは、そんな高校だった。
 ありがちな話だが、全国模試で一桁を叩き出し、自分のことを「頭がいい」と哀れな天狗になり、高校に入学し「本物」に遭遇した。

 鼻を叩き折られ、そのまま不登校になり、高校を中退。そのまま高校3年間引きこもり、2年間浪人という名のニート期間を延長した醜いプライドの化け物だ。

 引きこもっている間、まるで狂信的な教徒が、経典を耽読して救いを求めるように、引きこもりを主人公とした小説を読み耽った。
 
 滝本竜彦『NHKにようこそ』、杉井光『神様のメモ帳』。

 ショーペンハウアーの『読書について』でも、本質的なエッセンスとして次のように述べられている。

 「まるで肥満なのにバクバクと喰い続けるデブのように、衒学的な知識を節操なく読み続けることは知的な人物とは全くもって言えない。」

 「読書という行為は、真摯な自らの救いを求めて、それを解決する為に本に縋り、自らの頭で苦しくなるほど思考する営みの繰り返しの事だ」と。

 そのショーペンハウアーの金言に耳を傾けるなら、引きこもりの自らを醜くも、アイデンティティとして自己肯定するために、縋るようにページを繰ったのは、本質的な読書行為なのかもしれない。あの苦しすぎる日々は、懐かしくも二度と繰り返したくないが。

 話が逸れた。戻そう。
 その時の話にもう少し付き合ってくれる心優しい人(もしくは、それに共感できるほど今を苦しんでいる人)がいたら、以下のnoteでもその時の嘆き節を綴っている。読んでほしい。

(四畳半の部屋から①:

https://note.com/shinjukuturedure/n/n4ad1def6b027 )



 さて、「本物の天才は、理性的というより、むしろ感情的な生き物だ」という話だった。  

 溢れんばかりの感情が、「世界をこうしたい」という怒りが胸に渦巻いている。

 しかし、大人からは「まだ若いから」と笑って相手にされない。

 ならば、彼らを跪かせる地位から語ろう。
 日本の最高学府の出身なら、意見に正当性はあると、庶民は仰ぎ見るか。ならば東京大学主席になろう。

 論理と数式がないと、無知蒙昧な馬鹿には通じないか。ならば、誰よりも冷徹な論理で、誰よりも実現したい未来をデザインしよう。

 世界を動かす情熱の持ち主は、その様な論理で知性と学歴を掴み取る。

 現在のタブレットの原型を1970年代にデザインした、天才。アラン・ケイは、誰よりも先の未来を見れる冷徹な論理家だったのではない。

 MITにビルの一棟ほどの大きさの、世界初のコンピュータを設計して、「俺の理想は、こんな馬鹿でかくて醜いキメラみたいなものではない」

 「片手で持ち運べる、そして、このビル一棟の性能をはるかに超えるスーパーコンピュータを国民全てが使える世界こそが、美しい」と、慟哭した。

 その未来設計に魂から共感し、立ち上がった天才たちで、未来が「そのように作られた」

 天才とは、誰よりも冷静な、感情のないコンピュータなどでは決してない。

  教育というものが、本質的に思考しているのは、そんなクソつまらない生き物を量産するためでもない。

 偏差値75オーバーの進学校に行くと、嬉々として本を読み、止められても目を爛々とさせて勉強をする天才がいる。

 それは、誰もに否定されても、実現したい熱い情熱の持ち主だ。
 誰よりも感情的な天才は、誰よりも理性的に発狂して世界を「こうありたい」という方向に再創造する。

 僕は天才ではない。
 偏差値75の進学校は落ちこぼれて中退した。
 それでも、人生のある瞬間にそんな天才の情熱に当てられて目が潤んだ。

 僕はそんな「世界を変える、理性的な発狂」がしたくて、本を読み、生きている。

 こんな狂言じみたnoteを最後まで読んだ貴方も、そのように「世界をかく変えたい」と理性的に発狂する同士の1人か。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?