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鮮やかな問いを立てること、本を読み飛ばすこと

ショーペンハウアーは『読書について』の中で、読書は人の頭で考えてもらうことだ。」と述べる。

だから、本を読むだけでは、何も考えないまま情報を流し込むから馬鹿になっていく、と批判する。

あくまで本は、自身の問題意識や関心に基づいて読むものだ。

例えば、コンサルタントの山口周は、「常に5〜7個の問題意識を持っていて、それに該当する情報を集めるために本を読む」と述べる。

能動的に情報を集めるためには、情報が先ではない。

先に鮮やかな問題意識を持ち、その後に情報を集めるべきだと。

問題意識を持つからこそ読書から得るものも、読んだ後のアウトプットも厚みが相当増す。

しかも、問題意識に基づいて読書をする場合、自分の問題意識に合わない記述は、読み飛ばすという戦略が立てられる。

山口周は「年間400冊ほどに目を通すが、それは読むべき本と読まなくていい本を選り分けるための読書だ。そのうち、1冊全てを読む本は40冊に満たない」と述べていた。

これは、ベストセラー『読んでいない本について堂々と語る方法』で、点検読書と呼ばれる読み方だ。

山口に限らず、一定以上の知的職業に携わり、本を日常的に読む人は、そのような読み方を体得している。

逆に、本を読むのが苦手な人は「もったいないから」と買った本を最後まで読もうとする。つまらなくても。
でも、そうすると眠くなる。
ただでさえ、大学や仕事をこなして、その上で苦行のように「本を読むことは頭にいいから」と、無理に読もうとしても、人間の体はそこまで柔軟にできていない。
だから、読書冊数も少ないのだ。

本好きは、興味があるテーマを深掘り、知識同士が繋がって閃く瞬間が気持ちよくて、いわば快楽を求めて麻薬中毒者のように本に手を伸ばす。

羽生さんが伸びる棋士について述べた「義務感は、無茶には絶対に勝てない」というセリフが、読書についても当てはまる例である。

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話を読書と問題意識に戻そう。

何も問題意識を持たずに、とりあえず本を読んでいる時、読了後に「この本から学んだことは?」と問われても、30秒も話せないことが多いのではないか。

大体の本は、1冊1,500円、2〜3時間ほどの読了時間というお金と時間のコストを要求する。

知的戦闘力を、「同じインプットを与えられた時に、出来るだけ質の高いアウトプットを叩き出すこと」と定義しよう。

すると、情報のインプットのためにかけたお金や時間のコストに対して、できるだけ高いアウトプットをし続けた人が、知的戦闘力が上がり続けると言える。

知性の差は、比例ではなく指数関数的に広がり続けるので、この生活を繰り返すごとに両者の生活空間は宇宙拡張のごとく差が開き続ける。

勝間和代が「インプットと同じだけ、アウトプットの時間を取る」と述べる。
これはインプットだけコストを掛け続けても、アウトプットに結びつかない悲哀を批判した言葉だ。

注意したいことは、鮮やかな問いを立てるには、その問いを立てるために、足場を高くまで組み上げる知的な立脚点を必要とすることだ。

持っている知識の量が、問いの質を左右すると言い換えてもよい。

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