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「別れる男には花の名前を教えなさい」という発言と、川端康成の女々しさ

「別れる男には花の名前を教えなさい。花は必ず毎年咲きます」と蜜のような甘い脅迫を語るのは、川端康成『掌の小説』だ。

 花が咲くたびに、その名を睦み事の折に告げた女が、男の脳裏によぎる。季節を重ねるごとに、幾度も思い出される恋愛の記憶は地層のように堆積し、呪いとなる。  

 古代言語学者の呪いの定義が、「ある特定の言葉に縛られること」だとするなら、花の名前を浮かべるたびに女が重なるのは、立派な現代の呪いの一形態だろう。

 鬱病の発症段階を、カーネギーメロン大学博士の苫米地英人は、憂鬱な出来事を何度も思い出すうちに、脅迫的に反復された「憂鬱な記憶」の檻に閉じ込められることにあると述べた。とすれば、鬱病は近代社会という結界ようなシステムに閉じ込められ、上司という呪術師にかけられた呪いか。

 話が逸れた。ところで、川端の「別れる男には花の名前を教えなさい」という言説が、いささか男性作者によるロマンティシズムに寄りすぎている、と感じる所以は、女は別れた男に何度も思い出してほしいほど思い入れが無いからだろう。

 むしろ男ほど、たとえ自分から振ったとしても女を思い出す

 現代の女流エッセイスト風にいうならば、「男の恋はフォルダ別保存。女の恋は上書き保存」とでも言おうか。けだし至言である。


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