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「幸せ」とは本を読み人と会い精神と体力とお金を使って獲得する無形資産

偏見を叫びます。
生きることも、そこから経験と知識を蒐集して、何かを絞り出すように発言することも、全てが偏見に満ちた営みでしかないとして。

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人生が面白くないと無邪気に叫べるのは、デフォルトで生まれたまま何も知性も経験も、それらの堆積物であるセンスというやつも身につけないと、それ相応の時間の過ごし方しかできないことを知らないピュアさを内包している。

偶然楽しい何かが手に入る訳がなくて、何もしないでいると「つまらない」に行き着くのは自明の理だったりして、そこから逃れるために行動を起こして人と会って本を読み続けるというかなり精神と体力とお金を使って獲得した無形資産という概念を忘れてはいけない。

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という偏見を私は持っています。
でもさ、たぶんこれは何もしないでつまらなかった自分のことが嫌いでたまらなかったから。
そこから逃げたくて本を読み、人も会い、旅をしてつまらない自分から逃げることに成功したリア充な「楽しい」生活を送れていると思い込みたい、自分の強迫神経症的な弱さだとも自覚しているんだ。

例えば、私は容姿は優れていない。
でも、一緒に中学生の時に表参道を歩いていて、芸能人の勧誘をされていた友人から見た世界は違うのかもしれない。
道を歩いているだけで、イベントが飛び込んでくるポケモンみたいな世界なのかもしれない。

彼は大学生になってからもカットモデルとして、無料で髪を切ったことしかないから、美容院にお金を払ったことがない。
LINEを開いたら、女の子から長文ラインで溢れていて、返すのが億劫だと真剣に悩んでいる。
Instagramには話したことがない女の子から、DMが毎週届く。気が向いて返信して、会うと、かなり高い確率で、翌朝その女の子はベッドで下着姿で隣で寝ている。

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そんな彼からみた世界は、僕とは違うんだろう。
モテたくても何もしなければ、女の子から声をかけられることもなく、AVを見てシコってばっかりだった自分とは。

メンズ専門の美容院にいって、眉をカットしてもらい、ビジネスコンテストに出場し、クラウドファウンディングでお金を集め、そこでできた友人と全国に旅行に行き、それらの経験を楽しそうに語れるようになって、ようやく女の子に困らなくなった非モテのインキャの自分とは根本的に違うのだと思う。

自分の根本的な思想は、非モテでできている。
自分から行動しなければ、何も掴めないし、幸せになんてなれないという寂しい考え方をしている。

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モテの男女差は、とても大きなものがある。
男の子は自分から言い寄らないとなかなか恋人ができないが、女の子はそんな可愛くなくても、割と男の子から告白されたりLINEをされたりする経験がある、とは有名な話だ。

これは、男女というデカすぎる主語でなくとも、当てはまる。
個人間でも、想像だにできないほど大きな差がある。

そんな意味で、自分の「行動しなければ、楽しい人生なんて手に入らない」とは、寂しくて偏見に満ちた遠吠えなんだろう。うおーん。

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