森七菜さん「深海」の考察が止まらない
こんにちは。桜小路いをりです。
私は、普段、monogatary.comという小説投稿サイトで小説やエッセイを書いているのですが、以前こんな物語を書いたことがあります。
これは、「歌詞を物語にしよう」というお題に投稿したものです。
ここで元にした、森七菜さんの「深海」。
YOASOBIのコンポーザーとして、またボカロPとして活躍するAyaseさんが楽曲提供したものです。
monogatary.comでは、「童話の人魚姫の初恋は、本当に王子だったのか」というファンタジーver.で妄想をしたのですが、今回の記事では、現実的ver.で、舞台を現代日本にして考察をしていきたいと思います。
最後まで読んでいただければ嬉しいです。
私は、この歌詞は「都会に出てきた主人公が、ふるさとに残してきた『誰か』を想っている」というシチュエーションなのではないかと思っています。
ここの歌詞は、都会のアパートかマンションか、自分の部屋に帰ってきた時の、どこか場違いなような、落ち着かないような気持ちなのではないでしょうか。
この部分は特に、都会のそっけなさや冷たさなどが感じられる気がします。
また、煌々と輝く街の明かりや雑踏に慣れておらず、どこか心細いような不安定さもうかがえます。
「深海」という言葉もまた、「暗く押しつぶされそうな心情」を表しているのではないでしょうか。
深海は、水圧が非常に高く、真っ暗で何もありません。「深海(=都会)」にやってきた主人公は、周囲からのプレッシャーであったり、孤独感や寂しさに押しつぶされそうな状況なのではないでしょうか。
このように言う、ということは、主人公は現在「理不尽な悲しみに飲み込まれ」ていて、「笑って」いられない状況の中にいるのだと思います。
それでも、「君」に対して、「優しく穏やかな暮らし」を送ってほしい、「笑っていてほしい」と願っています。でもきっと、笑っている「君」の隣には主人公はいません。行間に漂う言い知れぬ切なさは、そんなところからも来ているのではないでしょうか。
MVで最後のフレーズを歌う森七菜さんの泣き笑いのような表情と、涙を隠すように後ろを向く仕草が、すごく切ないです。
この歌詞の主人公が眠りについた先では、優しい思い出が詰まった夢を見ていてほしいな、と思ってしまいます。
みなさんが「深海」の歌詞の中の「君」にあてはめるのは、誰でしょうか?
家族、友人、恋人、もしくは、アーティストさんや芸能人など、会ったことのない人かもしれません。
でも、もし、思わず「君」に当てはめてしまう誰かがいるのなら。
その人は大切なかけがえのない人で、その人に出会えたということは、とても大きな宝物ではないでしょうか。
こんなに様々な考察が広がって止まらない、懐の深い素敵な歌詞と曲を作り上げるAyaseさん。
その詞を、飾らずに真っ直ぐ歌い上げる森七菜さん。
おふたりでなければ作り上げられなかったであろう、この儚くも美しい世界観は、どこか刹那的で惹きつけられます。
MVの森七菜さんも、少女と大人の間を行き来しているように見えるので、「深海」は「一瞬しか見ることのできない流れ星の輝きを凝縮した」ような曲なのかもしれません。
みなさんは、「深海」をどのような曲だと思いますか?
この記事が、そんなことを考えるきっかけになれば幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。