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歴史に残る数人より 君の景色に映る一人がいい

こんにちは。桜小路いをりです。

今回の記事のタイトルは、SixTONESの楽曲「オンガク  -声ver.-」の歌詞です。

最近、よくこのフレーズが頭をよぎります。

そんなとき、「私は、『誰かの景色に映るひとり』になれるのかな」と考えたり。

この言葉、「記録より記憶に残る」という言葉に似ているんじゃないかな、と思っています。

「記録」は、いつかは塗り替えられてしまったり、新しいページに新しい記録がどんどん書き足されていったりして、いつかは色褪せてしまうもの、なのではないでしょうか。

時間が経てば、その「記録」はどんどん過去に遠のいていってしまう。たとえ、その煌めきは失われなくても、「記録」が樹立されたその瞬間の鮮やかさは、淡くなっていってしまう気がします。

もちろん、「記録」は絶対的なものですから、誰が見ても煌めいて見えるものです。
いわば、客観的なもの。
その燦然とした存在感は、他にはないものです。

一方、「記憶」は、完全に主観的なもの。
しばらくしたら忘れてしまったり、あるいは全く記憶に残らない、という場合だって有り得る、非常に曖昧でふわふわしたものです。

でも、この上なく感動して自分に刻み込まれた「記憶」は、そのときの実感と共に、いつまでも自分の中に残り続けるものだと思います。
色褪せることなく、鮮烈に。

ふとした瞬間に、そのときの想いや感動と共に記憶が呼び起こされて、新鮮な気持ちを思い出すことができる。

「記録」に残るのも、「記憶」に残るのも、もちろん、それぞれが素敵なことで、特別なもので。

でも、私自身は、「誰かの景色に映る一人」になることに、無性に心惹かれます。

その「一人」って、他の誰も代わりになれない、代替不可な存在だと思うんです。

そんな「一人」になれるって、すごく尊いことなんじゃないかな、と。

そうなるには、きっとすごくたくさんの努力が必要で、でも、そのためならどんな努力も惜しみたくない。

私は、そう思います。

なんでこんなことを考えているかというと、今、こちらのふたつの記事でお話しした、幻冬舎ルネッサンスから出版させていただく童話の制作をしているからです。

今日、ちょうど原稿の第一稿を担当の編集さんに送らせていただきました。

書いている最中、自分の中に「まだまだだな……」と感じる部分も見つかって、「もっと頑張っていきたい」と感じています。

でも、がむしゃらに頑張るだけではいけないから。

いつか、「誰かの景色に映る一人」になれるように、そんな目標を胸に抱きしめながら、進んでいきたいです。

歴史に残る数人より 君の景色に映る一人がいい

これからも、この言葉を大切に心に留めて、時折想い出しながら、書いていけたらいいな。

今回お借りした見出し画像は、ピンク色のバラの写真です。ただ、偶然ピントが合ったのではなく、不思議とそこにピントを合わせたくなるような。そんな人になりたい、と思います。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。