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「推すこと」は「感謝」だと思う。
こんにちは。桜小路いをりです。
今回は、私の「推しごとへのスタンス」の話をしていこうと思います。
みなさんは、「誰か(何か)を推すこと」って、どういうことだと思いますか?
例えば、宇佐見りんさんの『推し、燃ゆ』では、「推すこと」=「推しを解釈すること」として捉えられていました。
他にも、色々な捉え方があると思います。
「信じること」「生きがいにすること」「恋をすること」など……。
その中で、私自身は「推すこと」は「感謝すること」だと思います。
例えば、どんなに世間的に評価されている音楽でも、自分の心に刺さらなければ、感動はしません。
逆に、感動したということは、それが自分の心を揺り動かし、震わせるものであったということ。あるいは、心の隙間にぴったり嵌ったということです。
「感動」が「好き」という気持ちになって、そこから「推すこと」が始まる。
私は、そう思っています。
だから、「推すこと」は、「たくさんの感動をありがとう」「こうして『楽しい』を届けてくれてありがとう」と、「感謝すること」ではないでしょうか。
だからこそ、私は正直「いくらお金を使ったか」とか「何回、動画を再生した」とか「どのくらいの時間を注ぎ込んだ」とかは関係ないと思います。
同時に、新規の方も、古参の方も。
感謝の‘’度合い‘’を数字にするには、「金額」や「数」が手っ取り早いかもしれません。
でも、それで量ることができないのもまた、「気持ち」であり「感謝」だと思います。
それに、本当に感動して本当に心に刺さったものって、なかなか日常的に見たり聞いたりできないもの。私の場合は、自分の心にぴったり嵌まる曲ほど大切な時にとっておいたりします。
だから、もし「私の『推し方』って、これでいいのかな?」と不安に思っている方がいらっしゃったら。
ぜひ、「推すこと」は「感謝」だと捉えてみてください。
どんな形の「推し方」でも、例えば、CDを一枚しか買っていなくても、YouTubeで見て楽しむだけでも、推しへの「感謝」を忘れていなければ、それは正解だと思います。
「推し活」って、色んな在り方があって、周りの人に感化されてしまうことも多くて。
だからこそ、「自分はこう!」という推し方を確立させて、自分が心地いいと感じる「推し方」をしていきたいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
言葉にならない感動と、色んな想いや気持ちを教えてくれる「推し」という存在への感謝を、これからも忘れずに。
楽しく、「推しごと」をしていきたいなと思います。
今回お借りした見出し画像は、のだかおりさんのイラストです。両手にいっぱいの花を抱えた女の子がとても可愛らしくて、即決でした。赤と黄色の、華やかで元気が溢れる色使いも素敵です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。