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子どもの安心感 大人の不安感

子どもの頃、自分の家はずっとそこにあるものだと思っていました。毎日同じように目覚め、同じように学校に行き、そして帰ってくると、変わらない風景と家族がいる。今日と同じ明日が来ると信じていました。

家はずっとそこにあり、親もずっとそばにいる、そう思っていました。もちろん、そんなことはありませんでした。

大人の視点

大人になって、生活は自分で作り上げるものだと気づきました。

自分が努力して作り出している生活なので、努力を怠ればそれは簡単に消えてしまう可能性があります。実際に、そうした危機を幾度となく体験してきました。常にそこにあるとは限らず、いつでも維持できなくなるかもしれないという不安を感じます。

幸せは薄氷を踏むようなもの、という妻の言葉がいつも胸にあります。

環境の不確実性

ずっとそこにあると感ずるのは、子どもの目線、与えられている側の目線だからかもしれません。

子どもの頃は、与えてもらえるものが常に変わらずにそこにあると思っていました。しかし、自分がそれを作り出す側に回ると、その不安定さを実感します。

この感覚は、家だけでなく、組織や会社、国、さらには世界全体にも当てはまるかもしれません。自分が身を置く環境が不滅のものであると漫然と信じてしまうこと。来月も同じ稼ぎがある。来年も変わらぬ環境に身を置いている。そんな風に。

自己効力感と不安

子どもの頃に感じていた絶対的な安心感は、大人になって変わりました。

環境も変われば自分も変わる。環境を変えることもできれば、自分を変えることもできる。自分がどのように考え、行動するかで変化を起こすことができる。

変わらないものはないと考えれば、望まない変化に戸惑うよりも、望ましい変化に自分から近づいた方がいい。そんな風に思いながらも、なかなか思うようにはならない現実に打ちのめされています。そんなとき、変わらないと思っていた安心を感じてみようかと子ども時代(昭和40年代)の動画や写真を見ると、驚くほどに変化していて、笑えてきます。


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