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観光者の目で描く

何ごとも、出会うタイミングによって
その後の自分に与える影響の大きさが変わる。


ここ数年、僕の中での大きな変化は
あるモチーフに出会ったことだった。


それは白樺だ。



景色の中に
骨のように白く、
ぬらっと立ち並ぶ
異質な存在感。

上手く言い表せないが
この木には
「生きながら死んでいる」ような
佇まいがある。

美しくもあり、少しこわい。

「白樺の絵」2024,木製パネル,アクリル,パールメディウム
「白樺の絵」2024,木製パネル,アクリル,パールメディウム


他の地域でも見たことはあったが
北海道の白樺は、特に美しいと感じる。

道内あちこち出向いては、写真を撮り、スケッチをしていると

どんどん新たな表情が見えてくるので
おもしろい。


特に冬の時期、
ピンと張り詰めた空気の中でみる白樺は
まるで周りの空気自体が光っているかのように見える。

_地元民との会話にて

とある道民と話していた時のこと。

「白樺なんて、どこにでもある木ですよ」

当然のようにその人はそう言った。

そうなのか、と不思議な気持ちになり、

こっちは子供のように興奮気味に
白樺の美しさを語っていた
ところだったので、少しだけ気恥ずかしくなる。

自分にとってはこんなに目を奪われる存在なのに…


別のタイミングでこんな言葉を聞いた。

「わっ、竹林がある。すごい」

北海道出身の知人と、
本州を車で旅行していた時のことである。
窓から見えた竹林を見て
その人はすごく珍しがっていた。

たしかに、
北海道には道南の一部の地域を除いて
ほとんど竹は分布していない。

それを聞いた自分は
「竹林なんて、どこにでもあるのに..」と
同じことを思ったのだった。


そうか、

これは、きっと
”対象が日常の内側にある”かどうかが
関係している。



日常/非日常の意識の違いは

ひとつのものを
美しくも、ありふれた退屈なものにも見せる

ということを表していた。


これは当たり前のようで、
大きな気づきだった。


_観光者の目線に習うこと


これはまさに観光だ、と思った。

超単純に言うと「知らないものは面白い」から。

僕たちは普段、旅人にとっての
「知らないもの」を提供することを仕事にしているけど

絵を描く上では
自分自身も旅人の目線を持ち続けることが
大切だと思える。



大抵、人は"日常の風景"となったものには
注目しなくなるが、

アンテナを閉じてしまっていたら
どんな絶景を前にしても
きっと意味がない。




「普段見過ごしているものに気づく」こと。

それがすなわち僕にとっての
観光であり、アートなんだと思う。


またひとつ、スッキリした….。




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