見出し画像

福島県立博物館 (2023-04-15)

はじめに

1時間以内での見学では全く時間が足りなかった。私の見学ペースの場合は最低でも2時間は必要だった。

地域史

古代

古墳。中通り、浜通りにそれぞれ古墳が散見されるほか、会津若松周辺にも見られる。

古墳があるということは、その地域の権力者ないしコミュニティと自治・ガバナンスモデルの存在を示すものと考える(私の解釈)が、古代の福島県域にもそういったものが少なくなかった、少なくとも存在していた、という点を改めて認識。古代に全く何のコミュニティも自治もないエリアだったわけではない、と理解。

なお、会津若松と中通りの間は地図上は高地があるため、古代の人はわざわざ中通りから山を越えて若松まで来ていたのか?
一方、現新潟県域に向かうルートは、特に新津・新潟方面に抜ける道は中通り方面に比べると過度に高い山・峠は見られないように感じたが、そうなると、峠越えのハードルの低さで現新潟県方面に進んで海路に向かったのかどうか。
人と物の流れに関心が湧いた。

また、浜通りで砂鉄から鉄を精錬していたということで、鉄に関する展示も古代のエリアにあった。

古代でもう一つの気づきは、律令制に伴って人・物のほか情報の往来も重要になり、その結果東山道などの道の整備が進んだ、という流れの理解。
確かに大和政権が税制などを整備する過程で、中央のルールを地方に浸透させ、税を中央に吸い上げる仕組みなどは情報が適切に展開されないと実現ができない。
交通・通信の歴史の根源の一つ=政府の方針の全国展開に不可欠な通信網の整備について改めて認識した。

中世・近世

源氏政権(鎌倉幕府)樹立時の東北平定(奥州藤原氏討伐)の過程で東北・福島近辺も戦の舞台になったそうだが、阿津賀志山防塁の二重堀というものが当時にしては大型の土木プロジェクトだったような展示の記述を見たような記憶がある。藤原泰衡軍側が鎌倉方を迎え撃つために築いた要塞とのこと。時間がなくて大型模型と解説を流し読んで終わってしまったが、「大型土木プロジェクト」という言葉がずっと脳裏に残った。次回訪問する機会があった折はじっくり見学したい。

会津の藩校日新館は全国的にもよく知られる藩校で、個人的に会津若松訪問時に何度もその文字を見て関心を持っていた。福島県立博物館にも展示はあり、じっくり見学したかったが、こちらもタイムアップ。

近代以降

木炭バスが展示されていた。明治以降の草創期の鉄道の写真が一まとめに展示されていたが、その中にあった「平郡鉄道」は個人的には見慣れない鉄道の名前だった。検索すると磐越東線のことのようだ。(平と郡山で平郡)
このほか「安積開拓」が個人的に初めて見た展示(かつ事象)で気になったが、これも時間の関係でサッと眺める程度しかできなかった。

地理

浜通りの干拓事業や、その他じっくり見学したいコンテンツが山ほどあったが、ここで本当に出発せねばならない時間がやってきてしまい、博物館を離れることに。

結論

学生時代に比べて物事の背景に着目したり、「なぜこういう帰結なのか?」「どうしてこうした結論を導いているのか?」等々、物事を深掘りしたり、疑問を持ちながら見学し、その上さらにその疑問に応えるための知識・材料が思い浮かんで自分の中で問題提起とanswerの提示を反芻することを続けていると、古代だけで20・30分があっという間に過ぎていく。まさに「時間が溶けていく」感覚。

よって、私のこうした見学スタイルの場合、少なくても2時間、じっくり考えて見学するなら半日は必要だと実感した。
#他の郷土資料館・地域の歴史系博物館でもこれだけの時間がかかるのかは他の地域の同様の施設を見学して実証してみたいと思う。


福島県立博物館は鶴ヶ城そば。桜の盛はもう過ぎていました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?