大地震のあとの世界に
2011年の大地震のあとに書いた詩をここに置いておこう。
地震後の世界
最初にぐらっときたとき、ぼくは新宿の職場にいました。
同僚とふたりのお客さんとぼくの4人が7階の事務所に。昭和40年代に建てられたそのビルは、ゆらゆら、ゆらゆらと、長く、大きく右に左に揺れ続けた。
最初は落ち着いていたつもりだったけど、さすがに不安になって、やや浮き足立つ感じで、螺旋階段をみんなで降りていった。
地上に降り立っても、なんだか、揺れる船の甲板にいるような感じで、座り込みたくなる気分に。
東京が大変なことになる、とその時にはそのくらいにしか思っていなかった。
その後、夜になって、テレビを見続けているうちに、いまこの列島に起きていることのとてつもない事実に、愕然とした。
自分が体験したことのさらに大きなその外部で、とんでもないことが出来している。その事実に、胸がつぶれる思いがした。
今日は、詩の会である福間塾。
テーマは、「歳」だった。
この数日、書いてきたことをベースに、やはり、地震のあとに手直しをした、その詩には、どうしようもなく大地震の後の世界の響きが混入してくる。
安易にいまの気分を詩に呼び入れることには慎重でなくてはいけない。
そのことはわかっているつもりでも、やはり、どうすることもできずに。
あいかわらず拙い詩だけど、ここにも置いておくことにします。
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歳
質問と解答がない黒板
教室は降り積もっていくチョークとともに
時間となる
やがて配られた白い紙で
洟をかみながら
鉛筆を削る
とおい香りがよみがえって
しばらくのあいだ
子供たちの声が体育館に響く
情報を届けて下さい
永遠や体操や実験が老いていくなかで
足をかかえて座っているお尻が冷たかった
歩いている足も痛くなって
さまざまなあなたと
北向きの教室で出会って
岬をめぐる
さまざまなことを学んだ漁師のように
剥落する記憶を編みあげていく
順番に隣の部屋に呼ばれる
魚のようにならんで
ひとりずつの名前を朗読して下さい
物語になるまで
ここを離れて
わからないことが雲になりますように
この時代の空に
なにかを重ねて
のぼっていきます
口ごもる物語になって
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