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脳という地球

2023年9月
世界は色々と急展開を見せている。
そんな中、自分にも大きな変化が次々と起こった。そう言った事もあり、ミュージシャンとしてだけでは無く、こう言った記事ももう書いて、表現し伝えていって良い時間軸に入ったと思い、こうやって文に記して行く事にした。

戦争、経済危機、山火事などの天変地異。現時点は良い事と悪い事で言うと比率では悪い事の方が多いのかも知れない。
しかし、世界を現実とスピリチュアルと言う目線で見れば、そうでも無い部分も出てくる。
一昔前までは陰謀論、スピリチュアル、と言うと眉唾物、頭のおかしい人の持論と言うイメージが強かったが、昨今はYouTubeや某テレビ番組などのお陰でそう言った話を街中で聞くことも多くなったので、今この現実に起きている事が表の出来事であって、その裏にも同時多発的に色々な事が起きている事が理解出来る人も増えて来たのでは無いかと思う。
そう言った観点から見ると、表で起こる様々なネガティヴな事象が、実は本当の曇りなき自分を生きる気付きを促すサインであったりすると言う事なのだ。ただ人は自由に生きれるが故、あえて不正解を生きる事も出来ると言う事。

実はと言うと昔からスピリチュアルな世界や世界の裏側のような話には一家言あって、あってと言うよりは父の死を発端として起こった様々な出来事をきっかけに信じさるおえなくなったし、当たり前にある別世界を認識するに至ったと言う感じかも知れないが、今では自身の認識としてその事自体がそんなにオカルトや超常現象では無いと言う認識になっている。
実際、科学でも宇宙の仕組みを含め段々そう言った世界について解き明かされて来ていると言うのが現状では無いだろうか。

科学とスピリチュアルは最終的に同じ事を言っていて、科学の研究が進みスピリチュアルの探究が進むと、その両方の行き着く最終地点は同じ場所なんだろうと、思っている。

例えば、宗教、スピリチュアルでは最終的に行き着くところは悟り、すなわち自らが宇宙意識そのものとなる事が目的であり、科学ではその宇宙の全てを解明する事が目的であったりする。
これは、同じ事を言っている。
ただ、スピリチュアルではその宇宙を自分の内側に探究し、科学ではそれを反対に自分の外側に求めていく。その違いなのかと。

となると、その現在の認識では地球の外にある宇宙というものが、自分の中にも存在している事になる。宇宙と自分が同一。自分は宇宙そのものであり、宇宙は自分そのもの。
そんなぶっ飛んだ思想が成立する事になる。

そのどちらで宇宙を解明し、到達するか。
これは興味深いトピック。
例えば左脳人間、右脳人間なんて良く言うが、
これも同じ事を指す気がする。左脳優先の人は科学脳、右脳優先の人はスピリチュアル脳と言う事になると思う。実際自分も人に対してそう言った分類をする事がある。左脳人間は、やはり数字を大事にする人が多いように思う。自分はミュージシャンなのでそれに置き換えると、どれだけ楽曲が売れているとか、ライブの動員は?SNSのフォロワーは何人だとか、この高音部分を-1してくれ。とか、そんな具合で。
反対に右脳人間はそれを、感情や思いなどの、数値化出来ないもので表現する。例えば聴いていて涙が出るような音、とか、周りが好きじゃ無いと言っても自分だけが好きな曲、と言った具合に。
もちろん、人間は千差万別その限りでは無いこともあるのでその細かい部分は今回は省くが、結局のところそのどちらであっても、音楽と言うものを世に生み出す尊い存在なのである。
度々この両者は衝突するが、それこそが人間の課題であり、今の世の中の摩擦の根源的理由なのでは無いかと思う。両者が二元論的に互いを主張するのでは無く同一の同種として手を取り合えた時に素晴らしい現実はやってくるのではないか。
この部分で言うと、今の地球は右脳と左脳に分かれ、そしてそれを生命維持装置である脳幹が繋いでいる。こう言い換えることが出来ると思う。
結果、この全てが統合された時、真の意味で不幸せな人の居なくなる地球、世の中がそこに誕生すると。

自分はと言うと、もれなく右脳人間である。
だからこそ、人や世界、世の中の出来事などの見えない部分に強く惹かれたりする。
そんな中、現代は左脳人間が多いように思う。
SNSでの書き込みや、ニュースなどをみていると顕著な気がしている。物事を表面で判断すると言うこと。今一度、この危険性についても言及したいと思う。全てが表面上だけで判断され構成される世の中と言うのは、一言で言うと文字通り浅い世界、と言う事になるのでは無いか。

「情報に溢れた浅い世界」

そこには実際には様々な目に見えない事象が折り重なっているのに、なんとも浅はかな世界。

もちろん、これは個人的な意見である。
しかし、自分は今実際にそう感じているし、そこに居ないように努力をしている。

取り止めない文章になってしまったが結局何が言いたいかと言うと、一人一人が朧げでは無くもっと明確に自分の理想を掲げ、そして本当の意味で繋がり合い、幸せも悲しみも共感して行く世界。
今流行りの「よそはよそ。自分は自分。」
ではない世界。
そんな世界を自分は求めているし、目指している。意外と自分では排他的でないと思っていても、巨大な村社会の一員になってしまっているなんて事は日常的にある。そこで問題なのはその事で気付かないうちに阻害されたり不幸になる人がいると言う事。分かる人から。認識する所から。まずは自分の周りからこつこつと。

このnoteを再開させたのも、そんな理由があったりする。読んで少しでも共感してくれた人はどんどん共有して欲しいし、ここから始めたいと思う。自分はミュージシャンとしてこの世に生きているけど、それだけではない。音楽と言うのは、そんな思いや救いを表現する為の手段でもある。
それと同じように文章にも生命があり、音がある。もっと大きな使命がある事を今では認識している。それは素晴らしき周りの人間のお陰だ。
補足しておくが何か特定の団体、宗教と言う事ではない。それらをも全て包み込める集合体。

革命なんて起こす気はない。
ただスピリットとして、表現をして行くだけ。
共感から逃げず。そして共感を恐れず。
共感すれば、貴方にも始まっている筈だ。

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