見出し画像

家族との問題に向き合ってみるも返り討ちにあい絶望した上半期

2022年はコーチングに出会い、探求し、これまで取らないような行動も起こし、幸せを実感した年でした。


打って変わって、2023年の3月から6月は谷底に引きずり込まれるような体験が訪れました。


ちょっと生ましすぎないか?とも感じているのですが、「実はこんなことがあったんだー」と誰かに共有したい気持ちがあります。


実は1人だけ友達に起きたことを話したのですが、どうしても愚痴っぽくなってしまい、共有したい形と異なっていたためnoteにしてみました。僕の上半期の物語を楽しんでいってください♪

<当時の状態>
時期:2023年3月〜6月
年齢:22-23歳 4月に誕生日を迎えた☺️
職業:無職
趣味:自己探求

物語の予兆



大学4年生の年末、大学を卒業したらどこに引っ越そう?お金は最低限あれば、生きていけるし、なんなら、畑や自給自炊っぽいことをしながら、のほほんとやりたいことをコツコツ続けたいと考えていた僕に電話がかかってきました。


「家で仕事をしようと思っているなら、うちに帰ってきなさい」という母親からの電話です。


正直全く気が乗らない提案です。


気が乗らない理由は、「母親は話が通じない・過保護」もっと詳しく書くと、相談なしに絶対に着ない服を買う。ものを勝手に整理して、ものが紛失する。母親がいいと思ったものを押し付け、受け取らないと悲しむ、などなど。


この態度に対して僕の気持ちが全く尊重されていないと感じます。(※もちろん母は素敵な部分も持ち合わせています)


しかし、去年22歳の誕生日を迎えた僕は感謝を家族に送るというイベントを経てから母親の少しおせっかいの激しさが落ち着いたように感じます。


大学生活を通し少しだけ大人になった僕は、あまり家に帰ってこないことを寂しいと思う親の気持ちをほんの少し理解できるようになりました。


母親と揉めることを恐れつつも、「ちょっと数ヶ月よって、そのうちまたどこかへ移動しよう」そんな軽い気持ちで実家へ帰ることに決めました。



するとなんということでしょう。問題がゼロに近い父親の方に仕込まれていた大きな地雷を踏んでしまいました。

おじいちゃんに会わせたい


僕と妹と弟は生まれてから父方のおじいちゃんに会ったことがありません。それは、ブラジルにからです。なぜブラジルにいるかと言うとおじいちゃんはブラジル人なのです。定年までバスの運転手をしていた普通のおじいちゃんです。


話を戻し、父親は苦しそうに、もの悲しそうにお酒を飲みながら語ってきます。


「おじいちゃんに会わせたい。もう歳も近いから早くしないと。」


なぜ苦しそうで、もの悲しそうなのかというと、現実的に難しいと感じているからです。具体的に書くと資金がないのです。食べるのに困るほど貧しくはないですが、家賃と光熱費、雑費で両親の収入はほぼなくなってしまいます。


そんな父の昔からの口癖は「いつかきっとお金を貯めてみせる」です。20年言い続けてきて変化は感じられません。そんな中ブラジルまで飛行機で行こうとすると大体往復40〜50万×5人(家族5人)=200〜250万。その他諸々お金は必要になります。


好きでお金を無駄遣いしているわけではなく、ただ辛いと感じる現実を逃避するためにお酒やタバコにお金を使うループから抜け出せない父。ものに対する執着が激しく、人の言うことを聞かないスーパー頑固な母。二人とも一生懸命生きてるのですが、お金という指標で測ると変化がない20年。


なぜ現実を逃避するのかはここでは語らないのですが、幼少期の体験から来ているものだったりします。


その背景も理解した上で、酔っている父親に「もがいているけど、何も起きないのって大変だよね」「頑張ってるよね」と声をかけました。


すると「高校の時に母親が病気になって1人で2人の反抗期の高校生と幼稚園児と病気の母親の面倒みる苦しさ、孤独さ」「義兄弟にあたる兄を2歳の時に空港で行かないでと泣き叫ぶことを背にしたこと」など辛いと感じていたことをたくさん話してくれました。

痛みと共にいる難しさ


コーチングを提供する中で過去の辛かった話を聞いたりすることがあります。「そうなんだね。」と思いやりの気持ちとその感情の奥には「どんな願いがあるのだろう?」という好奇心を持ち話を聞いています。


しかし、父親の話を聞いているときの僕は、とてつもない苦しみを感じました。胸が張り裂け、喉が閉まるような痛みを伴いながら父の話を聞いていました。


これは、子供の頃に感じた無力感 →「楽しくもない、しんどい仕事から帰ってくる両親を楽にしてあげたいのに、自分はなんにもできない…」から生まれています。


さらに、「お金に困らせて、力になれない自分なんて本当はいない方がいいんだ」という無意識下にある信念を作りあげたため、痛みが伴います。


ここに触れると毎回痛みが走ります。


皆さんは大丈夫ですか?


最近読んでいた本に以下のような説明がされてため、苦しいと感じた方は過去の苦しんでいる僕に思いやりの気持ちを向けてみてください (⁎ᵕᴗᵕ⁎)

悩みや苦しみを持っている人に共感のみしてしまうと、自分自身も影響を受け気持ちが落ち込んでしまいます。共感の気持ちに加え、苦しんでいる人の幸せを願う気持ちがあるとポジティブな作用が脳に働くという違いが報告されています。

(Differential pattern of functional brain plasticity after compassion and empathy training)

自分を思いやるレッスン~マインドフル・セルフ・コンパッション入門


「本当はいない方がいいんだ」という信念は去年向き合い癒したと思っていたのですが、いざ目の前に現象として現れるとこうも痛みや苦しみに乗っ取られるのかと驚きました。


現実のお話に戻り、
父の「おじいちゃんに会わせたい」という願い聞き僕には「2人(両親)ではどうにもならなくて絶望しているんだ。」聞こえたのです。


となると、稼働力のある自分がなんとかするしかないか。と心の中で勝手に背負うことが決まってしまいました。


250万か。しかもおじいちゃん最近まで入院してた。急ぎじゃん。


痛みでぐちゃぐちゃになり、無気力ながらも、まぁ少しだけ我慢して頑張るか。。。仕事でもするか。。そう思い就職活動を始めることにしました。

行動を止めてくる自分



既卒の転職サービスに数社登録して面談をしました。


しかし驚くほどにやる気が出ません。面接の対策をやろうとしない。会社も調べない。ダルそうで、声が小さくて、表情が冷たい。


自己犠牲的に我慢して生きるのが大っ嫌いな自分が現れ、進もうとすることに対してブレーキをかけてくるのです。すると何も起きず不安や焦りが募り、また辛くなる。

このループが続くと視野が狭くなり、何もうまく行かない気がします。スキルもやる気もない小僧を誰が雇うんだ?


さらに、


「なんで新卒で会社に入らなかったんだよ!おい!」と過去の選択に執着する声。


「なんで高校の時、父が困っていた時にお前は親に迷惑をかけていたんだ、ほんとクソだな」と過去の自分を責める声。


「住まわせてもらってるのに、イライラするな!」と親とうまく行かない自分を感情を抑圧する声。


自分の中からたくさんの厳しい声が自分をかけることになってしまいました。この辺はまた違うnoteとして書きたいです。


自責や執着、不安にやられ、しっかりと絶望し、たくさん涙を流しました。


めっちゃ辛そうじゃん、どうやって乗り越えたの?と言われると


「何を体験したくて今こんなに辛いと感じているのか?」
「本当は何を願っているから苦しいと感じているのか?」


2つの問いをもち、微かな希望と変態的な探究心を持って旅を歩めたので、無事でした。それに、頑張って行動で乗り越えよう!とパワフルな時もあり、ずっと辛いと感じているわけはなかったです。


で、具体的にどうやって絶望の谷底から這い上がることができたのか。

おじいちゃん問題で1番の懸念点


父がおじいちゃんを失うことで心が折れることを1番懸念していました。それが叶わなければショックで父は絶望してしまうのではないかと。


そうすると、父に頼る形で成り立っている家族は潰れるのではないか?みんな共倒れするのではないか?と想像していました。


そんなことを絶対に起きてはならない。だから今動ける自分がなんとかしなくちゃと踏ん張ろうとしていました。


誰にも頼まれていないのに責任を背負う思考と行動のクセみたいなものが発動していたのです。


しかし、一向に踏ん張れないことに怒り、悲しみ、絶望しました。


振り返るとえらいなと思うのですが、散歩と内省だけは欠かさずするようにしていました。


すると散歩中に「本当にそうなるのだろうか?」と問いが湧いてきました。


父親がおじいちゃんを亡くして、悲しむだろう。それってでも普通のことじゃないのか?


父の心が折れたらみんな本当に困るのか?悲しむとは思うが、世の中に頼れる仕組みは別にある。ずっと苦しみ続けるとも限らない。


この時、父を含め家族全員のことを過小評価していることを気付かされました。「自分がなんとかしないと、家族は何もできないのだから」と。


これってつまり、「家族の可能性を全く信じていない」ということです。


家族を信じてみることはできないだろうか?「何が合っても大丈夫。乗り越える力はある。」と


そう簡単に思考は変わるはずもなく、抵抗感しか感じらません。ですが、「信じようとしてみる」と豆くらいの気持ちは芽生えていることは感じるようになりました。


豆ほどの小さい気持ちだったのですが、全く家事をしなかった野球部に入り野球の練習着を洗濯するようになったり、

妹が「みんなできるからって自分もできるとは限らず、その人に合ったやり方があると」発言をしていることが耳に入ってきたり、

早朝から壁が薄い寝室でドライヤーをする母親がリビングでドライヤーをするようになったり、


え?変わっている。少しずつだけど、みんなに変化が起こっている。


さらに、父親はなんとかお金は用意する方法を見つけたと言う。


今までならどうせ変わらないと諦めていたが、変化していることに気づけるようになりました。


「何があっても信じる」と意識を変えることは難しくとも「信じようとしてみる」程度でもこんなに変化が起きることに驚きを隠せないです。


きっと小さな1歩を踏み出した段階なため、同じように苦しさや痛みを伴う問題がこれからも現れるような気がしています。


同時に苦しみを経て、「信じる」ことについて深まる気もしています。この唯一無二のプロセスを味わいそれを含んだ自分として生きていけることに感謝してもがきながらも生きれることを願ってこのnoteは閉じたいと思います。


僕の人生の一部を読んでくれてありがとうございます!そして、みなさんは今どんな旅を、人生を、物語を歩んでいますか?





読んでいただき、本当にありがとうございました😊 今日も良い一日でありますように♪