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月が輝いていたことを知っている

 脳が揺れているのだろうか。地震がきた!と思うくらいに頭が、身体が、グラっと揺れた気がする。身体の動作を止めて周囲を見渡す。何かにぶら下がっている物、例えば竿に掛けられているS字フック、例えばキッチンの上の棚に掛けられている掃除用ブラシ、などに揺れがないか確かめる。たいていは揺れなど見つからない。しかし確かに揺れを感じた。身体全体で揺れを感じた。足元まで揺れていた。誰かに崖から突き落とされそうになったような気持ちだ。こんなことがたびたび起こるようになったのは五年くらい前からだろうか。これが目眩というやつなのだろうか。こんなことが起きるようになって最初の頃は、本当に地震が来たと思ったので、地震速報をしているかも知れないと思ってテレビのリモコンを持つ。テレビの電源ボタンを押してすぐにNHKのボタンを押す。しかし地震が発生したという速報は無い。まだテレビで確認するには早すぎたか、と思い、しばらく待ってみる。しかしいつまで経っても地震が来たという報道は無い。なぜなら地震など無かったからだ。こういうことをたびたび繰り返すようになっていき、今では揺れを感じても冷静に自分の身体を意識で支えるようになった。ぼくの身体はどこかがおかしくなっている。感じた揺れに対して、その揺れが本当にあったことなのかは確かめなければならないが、ぼくの脳がおかしくなっていることは確実なことなのだろうと思う。本物の地震が起きた時もそれが本当の地震なのかどうかを一瞬確かめる。確かめるとそれが本当の地震だということはわかる。ぼくの脳は完全にイカれてしまった訳では無いようだ。
 猫が亀の姿になって死にそうになっている。そのときは猫が亀の姿になることが自然なことだと思っていた。でもその亀は二足歩行で虚な目をして真っ直ぐ前に視線をやってゆっくり歩いている。じっと見ていると亀の顔が凄く疲れているオジサンに見えてきた。そう思っていたら亀は本当にオジサンになっていた。人生に疲れ切ったような辛そうな表情をしているが、ぼくはそれを見ていても何とも思わなかった。どうやらぼくも疲れていたようだ。亀は二足で歩き、両腕はダラリと左右に垂れ下がっている。ガニ股でのっそのっそと歩く。甲羅が重そうだった。甲羅が重いのが理由で辛そうな表情をしているのかも知れない。ぼく以外にもオジサンの姿を目撃しているが誰もオジサンに話しかけることはない。オジサンは見る角度によるのか、こちらの意識によるものなのか、オジサンの姿になったり亀の姿になったりした。でも元は猫だったということも忘れていなかった。死にそうになっていると思っていたけどそれは歩いていた。ゆっくりだけど歩いていた。何に向かって歩いていたのだろう。
 畳の上は夜だった。夜なのにカーテンの隙間からは外からの光が漏れて入ってきていた。その光は星よりも明るいので、空を見上げても星が見えることはなかった。ぼくはここから宇宙に浮かぶ月を見ることが出来る。だけどここからアメリカやドイツを見ることが出来ない。琵琶湖さえも見ることが出来ない。ぼくにとっては琵琶湖よりも宇宙の方が身近な存在なのだ。それなのに琵琶湖に行くよりも宇宙へ行く方がハードルが高い。そう思うと不思議な気持ちになった。今日の琵琶湖がどうだったのか知らないのに、今夜の月が輝いていたことは知っている。

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