見出し画像

クリスマス

昨年制作したキャリア初クリスマス的楽曲。

実は自分の中ではクリスマスは割とほろ苦い。
小さい頃、両親は共に忙しく働き特に父親は競輪選手だったので遠征に出るとなかなか戻らないこともあった。

末っ子だったこともあり一番近い姉でも5歳、一番上とは10歳はなれている。両親は一通り子育てをやりきったからか、僕の勝手な記憶では末っ子らしく特別に可愛がられることと、逆に兄や姉と同様にある種大人扱いされることの両極だった。

いろんな理由で我が家はクリスマスには無頓着だった。
クリスマスどころか誕生会など同級生が経験するようなイベントはうちにはあまり縁がなかった(皆無ではなかったし、うち独自?「子供の日」に箱寿司を作る習慣などは胸を張って自慢できる)。そしてそういうことを割と早めに理解していたしその部分ではあまり無理を言わなかったと思う。

夕食宅に一般的なクリスマスらしい食材が並ぶこともなく(もしかしたらショートケーキぐらいはあったかな?)クリスマスらしい事を家で経験した事はほぼなかった。クリスマスツリーの記憶もあまりない(プレゼントはねだってもらってたかも)

とある年の12月24日あたり。
この季節にだけ菓子屋の店頭に並ぶ、長靴にいろんな菓子が入ったもの。そこに、それとは似て非なるステッキのようなものに車輪がついたような容器に菓子が入ったものがあった。どちらもいかにも昭和的なものだ。

何故か僕はこれが無性に欲しくて、珍しく家にいた父親と近所のアーケードの菓子屋でこれを買って貰った。
銀色と赤と緑でデザインされた、そのとても簡素なおもちゃのようなお菓子の詰め合わせをなぜそんなに欲しかったのか、正直わからない。菓子としてもおもちゃとしてもとても半端なこれが何故か欲しかった。

でも今でも、そのステッキの車輪を道に転がしながら父親に手を引かれて歩いたシーンは思い出せる。なぜなら、それが小さい頃の唯一のクリスマス体験のような気がするからだ。そして同時に記憶の中で父親と過ごした時間の中のベスト5とかに入るような記憶だ。

その後成長して自分でクリスマス的な時間を友達や恋人と過ごしたりもしたが、ひたすら受け身で居られる小さい頃のクリスマス体験はやはり特別なのだ。

誤解のないように記すが、両親にはとてつもない愛情を与えてもらったし、本当に感謝しかない。ただ他の家と違うことがいろいろあったと言うだけなのだ。

今ならわかる「よそはよそうちはうち」でもなんだかこの曲を聴いて、歌詞の内容とは裏腹に切なさを感じるのは物事をまだ理解できていない幼少期の僕の感情が曲の中でさまよっているからかもしれない。

この文章書きながらも半泣き、お父ちゃんお母ちゃんに会いたいな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?