オオサワシンイチ
日記、散文、日常的に感じたことをメモしています。
主に詩や短文、フィクションなど書き連ねています
タイトルどおり
小さな、 音楽が溢れる場所 が自分の居場所 でも音が止まった瞬間 それはただの 四角い部屋なことに気がつく 空の弁当箱 タバコのニオイが消えない モッズコート 夥しい量…
戻ってきた。言語化という作業は自分にとって息抜きにもにていて、作業に煮詰まると散文からちょっとしたアイデアまで様々なものを書き留める。 音楽のことだけではなく日…
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ファッキンジャップくらいわかれよバカヤロウ、かもしれない。 今も昔も日本は世界から割りと愛されキャラだと思う。 日本人かどうかは知らんが日本自体はいろんな側面で愛…
今週金曜に配信リリースする RHYME SOのアルバムIAFB
あまりにご無沙汰すぎで、なにを綴って良いのかわからない。 ともかく、音楽共有しておこおうか。
今回ひかりちゃんからのオファーでMONDO GROSSOとして提供した曲「Shadow Dance Prod. MONDO GROSSO」 が去る9日リリースされた。 彼女をMGに迎えるパターンと少し異なるも…
意味があるとかないとか、実はあまり意識せずにしている行動が日常生活では大半を占める。朝起きて顔を洗って歯を磨く意味を考えたことがあるだろうか?習慣とはそういうも…
数年前にあるアーティストの楽曲依頼を受けた じつはとても好きなアーティストで、事実こちらの作品に参加オファーしたこともあったが、諸事情で断られた。 そんな過去はし…
その夜僕らはエルサレムの美大生街のバーにいた。 年季の入ったカルチュラルなバー、休息日の夜の序盤で客はそう多くなかった。 この店のムードは良く知ってる。 87~89年…
ジブンのなかの何かが終わったり、死んだりする感覚は初めてじゃないしこれからもジブン自身が失くなってしまうまで何度もやってくるんだと思う。 音楽は他の芸術に実は似…
個人的には波乱とともに迎えた新年 いろいろな感情が入り混じっているが心はオープンに保っている。 たかだか数十年意識を持ってこの世に存在しているだけで、 何が人生に…
小さな、 音楽が溢れる場所 が自分の居場所 でも音が止まった瞬間 それはただの 四角い部屋なことに気がつく 空の弁当箱 タバコのニオイが消えない モッズコート 夥しい量の液体を流し込んでも 満ちない渇き 入口からもっとも離れた 末端にある部屋のなかで 二方向から入る光をあつめて 生活を どうやって簡略化できるか 考える 必要なものは そう多くないことに気づく そして好みなのは 四角い部屋じゃなくて 直角よりも広い角度が 採用されている面のある 部屋だったことにも気がつく
戻ってきた。言語化という作業は自分にとって息抜きにもにていて、作業に煮詰まると散文からちょっとしたアイデアまで様々なものを書き留める。 音楽のことだけではなく日常的に感じたことや、時に夢や空想からフィクションを生み出したりもする。 ここ最近あまりNOTEで書かなくなった理由はXとの兼ね合いもあるし、SNSが総じて心の荒れる場としての色合いが強まってるせいもある。 現在比較的に自由でストレスなく付き合えるのはスレッズなので、NOTEとスレッズの連携がうまくいくならそれが現状
ファッキンジャップくらいわかれよバカヤロウ、かもしれない。 今も昔も日本は世界から割りと愛されキャラだと思う。 日本人かどうかは知らんが日本自体はいろんな側面で愛されてる。 もはや愛されボケかもしれん。 そのうえで日本を嫌ってるひとがいることも理解してる。 メッセージはなにもない、ただジャパニーズスタンダップってかんじか。
今回ひかりちゃんからのオファーでMONDO GROSSOとして提供した曲「Shadow Dance Prod. MONDO GROSSO」 が去る9日リリースされた。 彼女をMGに迎えるパターンと少し異なるものの音楽をやることに大きな差はなく、名義やアウトプットなどの違いは一旦音楽の中に入り込んでしまえば重要ではなくなる。 音楽の生まれるプロセスは毎回本当に不思議で、クリエイションの源にどんな意図があろうが本来あるべき形に自然と成ってゆく。 (わたしの場合) 上手く行かな
意味があるとかないとか、実はあまり意識せずにしている行動が日常生活では大半を占める。朝起きて顔を洗って歯を磨く意味を考えたことがあるだろうか?習慣とはそういうもので疑ったり意味や意義を問わないものが日常なのだ。 そして我々は日々この考えずに行動することの幅を広げている。 17年ほど前にツイッターが始まったとき自分のプライベートなこと、しかも場所や時間が特定できるような内容をみなが投稿し始めたとき衝撃を受けたのを覚えている。 ある程度のリスクを感じつつも、もはや誰もが大きな
数年前にあるアーティストの楽曲依頼を受けた じつはとても好きなアーティストで、事実こちらの作品に参加オファーしたこともあったが、諸事情で断られた。 そんな過去はしかしどうでもよくて、このひとに曲を書けるチャンスがあることに嬉々とした。 直感や感情その他使えるもの全てを投じて自分の中のセンチメンタル且つ変則なピアノバラッドのデモを生み出した。 そしてとても気に入った。 この依頼の背景には別のプロデューサーの存在があり、その方を信頼もしていた。そして僕の仕事は曲の提供のみ。 そし
その夜僕らはエルサレムの美大生街のバーにいた。 年季の入ったカルチュラルなバー、休息日の夜の序盤で客はそう多くなかった。 この店のムードは良く知ってる。 87~89年あたり思春期後半を過ごした京都の夜の街のそれだった。 数部屋に仕切られたスペースの真ん中の誰も居ない部屋で何もかも不詳な女性が音楽をセレクトしていた。 時代も音楽性も特定できない音楽やサウンドスケープが空間を支配していた。 タイムスリップ感を味わうようにスマホや仲間との会話を避けそのある種異様なムードに浸っ
ジブンのなかの何かが終わったり、死んだりする感覚は初めてじゃないしこれからもジブン自身が失くなってしまうまで何度もやってくるんだと思う。 音楽は他の芸術に実は似ていなくて、イチバン近いのは「匂い」だと考えていて、記憶との密接な関係や手にとってフィジカルな意味で可視化出来ないところも共通する。 思春期をとおしてある程度歪んだ趣向の音楽やアート、映画、文学などに触れた。それらの記憶のなかにほぼ言語化できない郷愁感と帰巣願望を今も胸の奥深くに抱えている。 「あの日に帰りたい」
個人的には波乱とともに迎えた新年 いろいろな感情が入り混じっているが心はオープンに保っている。 たかだか数十年意識を持ってこの世に存在しているだけで、 何が人生にとって正しく有益かなどわかるわけがないと悟ったからだ。故に開き直りや諦めではない「流れにまかせて」生きてみることを積極的に容認するしかないらしい。 社会を見渡せば本当に気の毒なくらい他者が決めた根拠も説明できないルールや抑圧に耐え、閉塞感から抜け出せない淀んだ空気が蔓延している。 アドバイスなど出来る立場にはない