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いつまでも、どこまでも、ワクワクを求めて。ーWTB 山田章仁

インタビューを終えて自ずと浮かび上がって来たのは、山田は子供の頃から自分の感じることを信じて道を切り開いて来たに違いないということだ。彼は、時に周りや世間の人々を驚かせながら、時に批判を受けながらも、敢えて居心地のいい場所に居続けないように自らを仕向けてきた。そして、ラグビー選手として、またアスリートとして「プロ」の自覚を強く持ち、自らがロールモデルになろうとしているようにも感じる。子供の頃から一貫している、その「ワクワクを止められない生き方」を紐解いていこう。

着物屋の倅に生まれ育って、世界が広がる

「家は着物屋でした。毎日いろんなお客さんが家に来ていましたし、お客さんに挨拶に行ったりもしていました。お客さんとご飯を一緒に食べることもあったし、今思い返せば、なんか人と創るコミュニティみたいなものを刷り込まれたのは、そういう家庭で育ったからかもしれませんね」

そう言って、山田は笑った。答えてみて、彼自身がチャレンジングな自分の人生の原点を生まれ育った家庭に見出したのかもしれない。サラリーマン家庭ではなかった故に、年齢に関係無くいろんな人と交わる楽しさや自由活発さを身に付けていった。

「小さい頃から英語の勉強はしていましたし、夏休みにオーストラリアにホームステイに行かせてもらったりはしていました」

5歳からラグビーを始めていたが、高校や大学に進むにあたっては、ラグビーを選択肢の基準にするのでは無く、いろんな仲間に出会えるであろうことを優先した。高校は内申点が悪くても一発勝負の入試テストが良ければ入れたという進学校の小倉高校に進む。そこには予想どおり、勉強ができるだけはないユニークな学生が集っていた。

「高校の時も僕とは真反対のような仲間と出会って成長できたり、大学の時も海外の仲間と出会えて自分自身が成長できました。自分が成長するためには、そういう環境に身を置くべきだということが20歳前後ぐらいでなんとなくわかったんですね」

大学は、世界中からいろんな学生が集まるからという理由で慶應SFC(慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス)に進学。

大学時代に、グローバルな世界で活躍したいという想いがより強くなる

ラグビーではU-19やU-23日本代表に選出されるなど順調に成長していった。大学2年の夏にはオーストラリアにラグビー留学するなどグローバルな視野も広げる。ラグビーだけでは無く、慶應SFCで出会った仲間たちからの刺激も、後の人生に大きな影響を及ぼした。

「仲間には感謝していますね。大学を卒業したら仕事をするわけじゃないですか。大学のときの仲間は、みんな野望を抱いていたんですね。世界を舞台に働きたいとか、海外赴任したいとか。みんなそれぞれの分野で自信があるわけですよ。僕もそんなみんなと切磋琢磨して世界に打って出られる武器はなんだろうなと考えた時に、それがラグビーだったんですね」

大学を卒業して、当時社会人ラグビー・トップウェストAのホンダヒートとプロ契約。以来、今日までずっとプロラグビー選手として活動している。

「ラグビーはもちろん好きでやってきたわけですけど、それを仕事にできたことは幸せなことです。学生時代はいろんな武器を身につける時間だと思うんですね。いざ社会人になる時に何を仕事に選ぶかと云う選択で一番切れる刀で戦に出たかったんですよ。僕はそれがラグビーだったから、最初からプロ選手として活動を始めました」

プロラグビー選手、プロスポーツ選手としての矜持

「プロになった最初の目的は、スポーツをやっているみんなに夢を与えたいということでした。ラグビーの良さは仲間を大切にするグローバルなスポーツなので、ラグビーをやれて良かったですね」

山田は自分のことを「マイナー競技のトップアスリート」だと言う。彼曰く、日本には野球やサッカーなどメジャースポーツのトップ選手〜マイナー選手、マイナースポーツのトップ選手〜マイナー選手まで幅広くいる中で、自分の居場所をそう位置付ける。

「日本ってアスリートをひと括りにしちゃうんですけど、その違いはきちんとつけなくちゃと思うんです。日本では1割ぐらいの選手しか、メジャースポーツのトップ選手とは呼べないと思います。スポーツが文化として根付いていませんし。じゃあ、そこをどう頑張っていくのか、アスリートのブランド価値、ラグビー選手の価値を高めたいという意識は、学生時代からあったかもしれませんね」

大舞台になればなるほど活躍できる秘訣

「試合は毎回発表会だと思っているんですよね。それまで学んで来たことを発表する学芸会とか文化祭とかと一緒ですね。シーズン本番になると毎週発表会ですね。だけど、4年に一度のラグビーワールドカップは特別な発表会じゃないですか。4年に一回しかない発表会だから、思いっきり楽しみたいし。全部の発表会が、僕のラグビー選手としてのキャリアが終わった後の、人生のいろんな準備だとは思っています」

そういう山田には、大舞台での緊張感は無いと思っていた。だが、緊張はするという。

「緊張はあります。少ない方だとは思いますが、緊張する時はあります。ラグビーワールドカップ2015 初戦の南アフリカ戦も緊張していました。だけど、国歌斉唱している時に、日本中で15人しかこのスタートに立てないし、世界中で30人の選手だけがこの舞台に立てているわけなので、緊張して自分の力が出せないのはもったいないなとか考えながら国歌を唄っていました」

「それで僕のステップを世界中の人に観てもらおうとか、今まで勉強してきたことを発表したいなと思っていたら、緊張がワクワクに変わっていったんですね」

そうして挑んだ大舞台での結果はどうでも良いと言い切る。

「発表できたこと自体が自己満足ですよ。通用しなかったらしょうがないですよ。相手が強かっただけの話しだし。通用したら、自分自身が学んで来たことが合っていたとか。せっかくの30人の選手しか経験できない舞台は大事にしたいですね」

「今までの自分を全部出さないと何が良かった悪かったって振り返れない。だから、臆せずに出し切ることを楽しんで来ましたね」

シャイニングアークスへの移籍、そして今シーズンへの手応え

2019年にNTTコミュニケーションズ シャイニングアークスに移籍。

「居心地の悪いところに自分を置くことが、自分を成長させて来たと思っています」

一言で云えば「チャレンジしたかったから」とも、山田は言う。そして移籍してからここまで3シーズンの間でまた様々なチャレンジも行ってきた。

「シャイニングアークスが提携した、フランスのLOUラグビークラブやアメリカ・プロラグビーリーグの『Seattle Seawolves』に派遣されて、プロチームのあり方を経験したことには充実感がありました。そして、ロブ・ペニー監督が戻って来て、今まで達成したことの無いベスト4に向かって行くことにワクワクしますね」

ロブ・ペニー監督体制となってからの山田の充実ぶりは、結果とともに見て取れる。

「ロブさんのチームづくりは素晴らしいと思いますし、チームがポジティブな活気溢れた雰囲気になっています。自分が過去に経験した強いチームの雰囲気が今のアークスにはありますね。強くなるチームにはいい環境といいコーチといい選手が必要だと思いますが、それが初めて揃ったと思います。今シーズンはすごく期待できると思います」

オンラインサービスを通じての様々なラグビー活動

コロナ禍でリアルな活動が制限されてきた中で、当初はいわば『代役』として皆が使い始めたオンラインサービスが、山田の活動を逆に加速させたかもしれない。

「有料のオンラインサービスをいくつもやっています。コロナ禍でファンの人達とリアルに交流ができなくなってもう2年ぐらいになりますが、早くからオンラインの着手をしていたのは良かったかなと思います。お金をいただいてサービスを提供するということに関しては、僕自身いろんなチャレンジをしてきた中でも大きなチャレンジでした」

「あともうひとつ大きいのは、三菱地所さんとやった丸の内15丁目PROJECTにおける『オンライントークラグビー世界大会2020』*ですね。
これは僕が企画提案からキャスティング〜オーガナイズまで全部やったんですよ。それは僕の中でも大きな財産になりました」


「NTT ジャパン ラグビーリーグワン 2022」     シャイニングアークス開催試合に小学生をご招待!

2022年1月から始まる新リーグ「NTTジャパンラグビーリーグワン2022」を迎えるにあたって、山田がラグビー選手として経験したきた世界を少しでも次世代に伝えるために、シャイニングアークス東京ベイ浦安のホストゲーム全試合に親子で5組10名様を招待する企画を自ら立ち上げた。

「これまでYouTubeやオンライントレーニング、オンライン就職活動、オンライントークや自分で運営しているグローカルラグビースクールなどで得た収益の一部を使ってやります」

応募期限は、12月31日(金)23:59分迄となっております。
アークスファンの小学生の皆さん(保護者の皆さま)、ぜひご応募ください!!

山田のワクワクの追求は、まだまだ止まりそうもない。
今シーズンの山田章仁選手に是非ご注目ください!!


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