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大学生として政治と“共生”する

** 私は、政治に強い興味を持つ大学生であった。学部は経済学部。政治を専門的に学ぶのは法学部であったため、講義として政治を学ぶことはほとんどなかった。正直、周りに政治への興味が強い人も全くおらず、遡って中学・高校の友人でもほとんどいなかったように思える。

 しかし、私は短い22年間の人生の中―特に15歳以降―で政治に強い関心を持った。選挙に行き一票を投じ、ボランティア活動としてビラを配ったり、ポスターを貼ったり、講演会に参加もした。こうした、私が大学生として関わった政治活動を、学生最後の記録として残すこととする。
 昨今、政界における混乱も社会での混乱も、色々と頭を悩ませていることだろう。ぜひこの記事を、息抜きとして、かつ大学生のリアルな声として読んでいただけると幸いである。**

1. 大嫌いだった政治の世界
 小さい頃の私は、“政治”というものが大嫌いだった。小学校や公園に立て付けられる知らないおじさんおばさんの沢山の顔に不快感を持っていたり、公園の横をノロノロと通りすぎる街宣車に「うるさーい!」と叫んだこともあった。終いには、当時小学2,3年生の時、私に渡してきた政治活動のリーフレットを候補者(?)の前で破ったこともあった(その節は大変失礼いたしました)。
 政治家といえば、年老いた人たちがわけのわからない難しい言葉を言い合う存在であり、稀に“おかね”や“おんなのひと”問題で謝罪をしたり追及を受けたりするかっこ悪い存在であった。加えて、小泉純一郎総理以降は毎年のように代わる“そうりだいじん”に対して、冷ややかな目で見ていたことは間違いない。それゆえに国会中継はもとよりニュース番組の政治コーナーですら見るのを拒んだ。(ちなみに選挙特番でバラエティやアニメがなくなることにめちゃくちゃ怒っていた。)
 しかし、そんな中で少しだけ政治に目を向けたこともある。1回目は麻生総理大臣の時。“オタク総理”として人気のあった麻生総理は、遠い存在であった政治家を少し近くに感じさせた。2回目は菅総理大臣の時。私事だが、名前の中に“KAN”という文字が入る。その程度の繋がりであったが、親近感が沸いた。“KAN”総理として家族も応援していた。3回目は東日本大震災の時。枝野官房長官に対してであった。当時、昼夜問わず何度も会見をしていた枝野官房長官に対して、SNS上では「#枝野寝ろ」というハッシュタグが多く流れた。中学生の私からしても枝野官房長官の疲労は見て取れたし、命をかけて職務に臨んでいることを感じ取れた。初めて政治家をかっこいいと思った。
 こうした形で一時例外的に気になる政治家はいたものの、政治全体で見たら大嫌い。毛虫、豆腐に並ぶ三大嫌い要素であった。
2. 祖父母の存在
 私は、母方の祖父母と一緒に住んでいる。2020年現在、祖父は87歳、祖母は82歳である。私が4歳の頃から祖父母の家に同居して約20年間になる。
 実は、祖父母と一緒に住んでいたことが政治を考えるための一番のベース形成に繋がっていた。なぜなら、小さいころから祖父母の戦争経験を聞かされていたからである。祖父は福島県に生まれ福島で育った。祖母は東京に生まれ、東京大空襲を経験。家が壊れ、至る所に死体がある中を妹と走って逃げたという。「戦争は悲惨なものだ」「2度とやっちゃいけない」そういった言葉を何度も聞かされた。
 祖父の誕生日は夏。広島に原爆が落ちた日と同じである。小さい頃、祖父の誕生日には家族でケーキを囲んだ。ケーキを囲みながらテレビをつけると、そこには原爆の恐ろしさを描いた戦争ドラマやアニメ、特集が放送していた。夏休み中のテレビ番組は、終戦の日に向けて戦争番組が多く、私はそれを見て育った。
 【戦争は絶対に良くない】【繰り返してはいけない】ということを身につけた幼少期であった。
3. 理想を尊ぶ理念の形成
 小さい頃に好きなテレビ番組があった。NHKで放映されていた「天才てれびくんMAX」である。自分よりも少しばかし年上の子供が、歌やダンス、ゲーム、スポーツに挑戦し、青春をしていく子供向けテレビ番組だ。“てれび戦士”と呼ばれる彼らは「仲間との“絆”」や「(それぞれの持つ)“夢”」を大切にし、ブラウン管の中で伸び伸びと写っていた。彼らの存在は、私の理想でもあった。
 「ドラえもん」も好きだった。現実にはない道具で、夢のような体験をするのび太とその仲間たちに心惹かれた。「ポケモン」も好きだった。仲間と共に夢に向かって駆け抜ける姿にワクワクしていた。アニメもドラマもなんでも好きだった。テレビの中の“非現実世界”は、どれもが理想の世界となり、その理想には【仲間】や【夢】や【絆】といった言葉が共通していた。
4. 無関心の反省
 小学校の頃からずっと行き続けた塾があった。マンツーマンの対面型授業。科目は特定のものに限らず、全ての勉強の範囲でわからないものを習う形であった。
 中学生までは必要な科目を習う日々であったが、高校生になってからは少しでも社会のことを知ろうということで冒頭の10分程度で社会問題について色々と教えてもらった。そして、その習慣が政治関心の最初のきっかけを生む。
 2014年、安倍政権下で[集団的自衛権の解釈改憲]が行われた。当時、政治や社会問題に全く興味がなかった私はこの出来事を知らなかった。しかしある時、塾の先生から「日本が戦争に巻き込まれるかもしれない。戦争ができる国にされたんだ」と教えてくれた。小さい頃から戦争に対して強い拒否感を持っていた私にとっては、この言葉があまりに衝撃的だった。
 「平和な国の日本が戦争?憲法9条があるのに?わけがわからない」
そう思った。その日の授業科目は、安倍政権についてレクチャーを受けた。正直難しかった。
 翌年、[平和安全法制]が強行採決された。改正に反対する大学生グループSEALDsがメディアに取り上げられていた時期であったが、薄情なことにこの件についてもあまり関心を持っていなかった。解釈改憲の非現代的非民主的なプロセスを理解しておらず「戦争できるようにするなんて、安倍政権酷い」程度の思いしかなかったためだ。国会議事堂前でのデモについても全く知らなかった。色々と知ったのは、改正法が成立したあと、同じように塾の先生からの説明であった。
 この時、自分の無関心さに恥じらいを感じた。私のような無関心の塊が安倍政権の暴走を生んだと思うと、無関心こそが悪と認めざるを得なかった。
5. 関心から行動への変化
 それからはまず安倍政権について学び追うことを心がけた。「気付いた時には戦争可能国家」となった現状にもう一度陥らないためだ。
 塾の講義時間の前後で安倍政権について質問をし、リアルタイムで進む政権の横暴について常に考え続けた。安倍政権の背後にある日本会議、明治維新の時から変わっていない明治第一主義の思想、国家神道、家制度の実現等、聞けば聞くほど現代とは思えないようなとんでもない話の数々であった。
 2015年度は大学受験を迎えた年であったため政治にどっぷりつかることはせず、その代わりに世界史を受験科目として勉強することで国際情勢から国際政治を学んだ。翌年、専修大学経済学部に入学。歴史の大きなターニングポイントには経済が原因していると思ったから経済学部を選んだ。
 同年迎えた参議院選挙では、「自民党はダメだ」という思いで投票に行くも、大した知識を蓄えていなかったため、正直何が何だかわからない。何が論点だったかもわからず、とりあえず民主党の後継政党に投票した。
 それからは自分なりにニュースを見たり、本を読むことで少しずつ知識を増やした。知れば知るほど恐怖した。いつの間にかこの国が私物化されていたこと。無関心の連鎖が大馬鹿もの連中に行政や立法の権利を渡していたこと。少しずつ、戦時中日本のような状態に戻っていること。経済が回復しておらず、国産業が壊滅化し、社会保障不安も縮まらず、借金ばかりが増えていること。権力者を縛る立憲主義が骨抜きになり、国民の主権を大切にする民主主義が後退していること。マイノリティーや女性、子供に優しくない国家であること。中国や韓国をはじめとした国へのヘイトを未だに持ち、「日本は素晴らしい」という自国優位主義から抜け出せていないこと。この国は平和なユートピアではない。私が知った日本は、ディストピアの道を歩んでいた。
 私は思った。変えなければならない。何年かかっても、壊れた日本を回復させる必要がある。そのためには、国の頭を変えなければならない。頭を変えるには選挙で勝たなければならない。選挙に勝つためには無関心でいてはならない。無関心は悪。悪を取り払い、日本の悪夢のような政権をひっくり返す必要がある。そのために私にできることは何か。
まずは関心を持つこと。関心を持って行動すること。行動とは?投票、ボランティア、発信…。最初は候補者の声を直に聞き、それを若者視点の言葉で発信しようと思った。
6. 行動するということ
 2017年の衆議院議員選挙では、安倍政権と真っ向から戦う立憲民主党を応援することにした。立憲民主党は、[平和安全法制]に反対の点で戦争反対派の私のイデオロギーと一致した。セクシャルマイノリティーや社会弱者の権利を守るという点でも私の姿勢と一致した。さらに、権力を縛る立憲主義の回復や民主主義の強化など、ほとんどの政策が私の思いと一致したのだ。私の中にあるイデオロギーは、小さい頃から接してきた祖父母や家族・友人との環境、ずっと見続けたテレビ番組によって作られた価値観、塾の先生と一緒に考え続けた倫理や道徳がベースにある。それに一致したイデオロギーが立憲民主党であった。
 私は、東京6区の落合貴之候補の演説や神奈川16区の後藤祐一候補の演説を聞きに行った。それぞれの候補の演説には、枝野代表や小池代表も登壇した。また、東京大作戦FINALと銘打った立憲民主党の最後の大演説会や秋葉原で行われた自民党の大演説会にも足を運ぶことで各党の熱も間近で実感した。そして、実感したものは、TwitterやInstagramで発信することで若者視点の意見を述べた。これが誰かに影響したかは知らないが。
 そして、投票日を迎え即日開票。立憲民主党は躍進をした。
 立憲民主党は、草の根政治をモットーにしている。ゆえに立憲民主党が有権者からかけ離れ政治家本位の政治をすることはあってはならない。草の根政治、それは有権者が政治に物申すということだと私は考える。簡単に言えば、良いことは良い、悪いことは悪いとはっきり言うこと。このモットーをブレさせず、党の強みとして持ち続けてもらうために私は選挙後も国会内や各議員の動きを見守ることで、立憲民主党に監視の目を向けた。
7. パートナーズとして
 2018年、立憲パートナーズが始動。募集開始日に登録をした。党員やサポーターとして登録をするのは初めてであった(立憲パートナーズは少し違う立ち位置ですが)。
 パートナーズとして登録してからは、色々な活動に参加した…と言いたいところだが、実はそんなことはない。SNSを通じて各議員の政治活動をチェックする程度だった。
 この年、秋に大きなターニングポイントが訪れた。立憲フェスである。私は立憲フェスに参加をし、様々なブースを回ることで全く関心のなかった分野に興味を持ったほか、普段はテレビの向こう側にいる議員がそこら中を歩いていたり、パートナーズと話をしている姿を見てとても良い刺激を受けた。立憲フェスでは、政策パネルを見ている私に石橋通広参議院議員が声をかけてくださり、政策の説明をしてくれた。
昔は大嫌いだった政治の世界。政治家。そことの距離が縮まったイベントだった。
この日の様子は、Twitterでレポートとして発信した。そのツイートは大変多くのRT、ファボをもらった。その時に沢山のフォローもしてもらい、現在もフォローしてくださっている方もいる。ありがとうございます。
パートナーズになり、立憲フェスに参加し、レポートを発信し、沢山注目をしてもらえたことは、政治関心から政治参画への大きなターニングポイントとなる。
私のツイートに注目してくれた人の中から、議員インターンを勧めてくれた人やボランティア活動に誘ってくれる人がいた。こうしたチャンスを逃すまいと、私は議員インターンに参加をしたり、足立区までボランティア活動に足を運んだ。
他にも、講演会の準備、会中の誘導、ポスター貼り、ポスティング、朝立ち、候補者のチラシ配り、おしゃべり会議への参加、パートナーズのワークショップへの参加をした。身近なものでは、私なりに政治に関しての発信、父や姉と政治について語り合ったり、母とニュースを見ながら意見交換をしたり、沢山の本を読んで知識を増やすなどをしてきた。本当は詳細を書きたいところであるが、守秘義務や相手先のことを考えて控えることとする。
ただ、ここで一言お礼を申し上げたい。活動の中でお会いした方々、一緒に活動した方々、インターンを勧めてくださった方、活動に誘ってくれた方、チャンスを提供してくれた方、皆様のおかげで今の自分がいます。全ての方に心から御礼申し上げます。
8. これからのために
 今月22日、大学を卒業した。4月からは社会人になる。これまでは“大学生”という肩書で色々な挑戦をし、自由気ままに発信をしていた。だが、これからはそうは行かない。一つ一つの行動に責任を持ち、常に考える必要がある。思いつきや勢いでの挑戦もそう簡単にはできないだろう。だからこそ、私はもっと政治に対して知識を持ちたいと思っている。政治だけではなく、経済や文学、倫理、教育、法なども学びたい。価値観も知識の幅を広げ、私なりの意見を持てるようになることが当面の目標である。
 そして、同輩をはじめとした若者世代の政治への関心を広げたい。
9. 政治を発信することの辛さ
 さて、私は政治への関心を持ってから頻繁に政治に関する発信をしてきた。その大概が政権批判をはじめとして、政治や社会の問題点、こうなるべきというビジョン、を私なりの考えとして述べた。それは政治用のアカウントだけではなく、プライベートのTwitterやInstagramでも行った。
 大学生が発信することを肯定的に捉えてくれる人は沢山いる。フォロワーの方の中にも、大学生の私だから付き合ってくれている人もいるだろう。政治への関心を持つ若者は少ない。投票率がそれを証明している。だからこそ、私は貴重な存在であり、私の意見も貴重なのかもしれない。
だが、大学生として政治の発信をすることは、同時に辛い側面も持っていることも伝えておきたい。
一点目。友人から意識高い系として見られること。
「政治発言するなんて意識高いよね。私には無理だわ。」「政治家になるの?ファイトー」といった言葉を何度も受けてきた。これらの言葉に悪気はないだろう。おそらく何も考えずふと出た感想なのだと思う。しかし、私からしたらこれは呪いの言葉であった。
政治は私たちの生活と切り離せないものであり、むしろ政治の上に生活がある。にもかかわらず成人を超えても政治を自分とは関係のないものとして距離を置き忌避する。自分の政治への無関心さを自覚するよりも、関心を持って行動する人間をあたかも素晴らしい人間と褒め称えることで「相手はマイノリティ、自分はマジョリティ」という構図を作り出し安心感を得て、思考をずらす。無関心の原因は、無関心を自覚することで生じる自己嫌悪や羞恥心から避けるためである。まさしくジレンマだ。
二点目。無知な人間は黙っていろといった批判を受け、笑われること。
「無知のくせに偉そうなこと言ってて草」「頭悪いなー」「何も知らないくせにイキって投票促して…」。これらは実際に私に対して言われた(と思われる)ツイートの数々だ。ツイート主は旧友。私に対してと述べたのには理由があるが個人的な理由なので記述は遠慮させてもらう。
私は元々無関心だった。無知でもあった。今でもまだまだ知識は足りないし、行動も足りない。人間性もクソかもしれない。しかし、なぜこんな批判を受けなければならない。若者の投票を促すことは悪なのか。応援する候補者について紹介したり、気になるツイートをリツイートすることをしてはいけないのか。
ここではっきりと伝えておきたい。若者の政治関心が低い理由は、このような“マウントくん”や“暴言くん”の存在も影響している。...知識がなければ発信してはならないという空気。間違ったことを発信するのは怖い。安易に発信したら叩かれるかも知れない。少し反論されたらさらにやり返すことができないから最初の発信すらできない。マウントも暴言も吐いてこないがサイレントで私のことを馬鹿にしているのではないだろうか...そんな不安が政治への関心や発信を妨げる。さらに言えば、政治を学ぼうとしても難しい。何よりちゃんと教えてくれる(教えられる)人が近くにいない。だから武装すらできない。こうした状況が抑止の原因になっていると確信している。
私もこうした辛さに直面し気持ちを病んで抑止しかけたこともあった。幸い、そんな人はほっておけと割り切る姿勢やフォロワーの皆さんの存在のおかげで心の安定を確保できている。が、メンタルがまだ未熟な若者にとって周りの目やマウント、暴言がどれほど足かせになっているかは目を背けてはならないポイントではないか。
10. 政治の発信から得た喜び
 政治を発信することは辛さだけではない。自分の得の面で言えば、アウトプットによる頭の整理や論理力を磨くことができる。また、私の場合はフォロワーのような賛同者や逆に新しい視点をくれて議論をしてくれた方々と出会うことができた。
 プライベートアカウントで発信したことで得た喜びもある。
 一点目は、私のツイートがフォロワーの心を支えた点である。
 私と同じように政治に不満や不安を持っているけれど、発信をしていない人間も沢山いる。そんな人からしたら、先鋒を切ってツイートをする切り込み隊長の存在は、不満や不安の共感相手ともなり孤独ではない安心感を得られる。「あの発信をしてくれてありがとう!」「一緒に語りたい!」とDMをくれた友人もいた。辛さの二点目に書いた痛みを減らす一つの方法は、辛さにめげず発信することでサイレントマジョリティーを救い、仲間と出会える点かも知れない。
 二点目は、私の発信をきっかけに投票に行ってくれたり、発信の連鎖を生んだ点である。
「発信していた内容を私のアカウントからも発信しておきます!」という連絡を後輩からもらい、実際に発信してくれた例がある。また、「投票行くか悩んでいたけど、発信を見て行く決心したよ!」とコメントをくれた人もいた。私程度の人間の発信でもちょっとずつ影響を与えられるということの証明ができたと自負している。
 三点目は、政治への関心を生んだ点である。
「今ニュースになっているこれってどういうこと?」「これについて教えてくれない?」というメッセージをもらうことも増えた。もちろん全てに対して知識を持っているわけではないが、私の知っている範囲で説明をしたり、一緒に勉強することで関心を広げてもらう手助けをしている。何度もいうが、政治は複雑であるし、難しい。どこから入ればいいかわからない。だからこそ、興味を持った分野を切り口に少しずつ入ってもらうのがベストだろう。相手が示した関心を潰すことなく、むしろ一緒に育てることで少しずつ政治への関心を呼び起こしたい。
11. 若者の政治参画の課題を挙げてみる
 政治に興味関心を持ってたった5年弱であるが、この間で若者の政治参画の課題を見つけることができた。既に上記で述べていることの整理も兼ねて記述する。
 若者の政治参画の課題は、心理的な面と技術的な面で整理できる。
 心理的な面としては、
  ① 政治を身近なものだと実感していない
  ② 政治参画をしようとしても知識がない
  ③ 意識の高い系などと見られる(意識が高い=マイノリティとなり、居心地が悪い)
  ④ マウントや暴言を受けることが怖い
の四点を挙げる。また技術的な面としては、
  ⑤(政治は) 様々な要素が複雑に絡んでいて難しい
  ⑥ 言葉が難しく、調べても簡単に理解ができない
  ⑦ 常に社会は進み続け、知らない事も増えるため追いつかない
  ⑧ 教えてもらいたくても教えてくれる人(教えられる人)がいない
  ⑨ ⑧に関連して、いても名乗り出てくれないし、探し出すことができない
というものがある。これらを解決する一つの手段は、政治や社会問題について語り合ったり考えることを生活や教育の一部に組み込むことであろう。日本人特有なのかどうか知らないが、多くの人が周りと同じ歩幅で歩くことに安心感を持つ。政治について発信することで、足並みが外れることに恐怖感を持つ。こうしたメンタリティが実際にあるならば、足並み揃って政治を考え発信する環境が必要になる。そのための方法が、家庭と学校という“普通”で”当たり前”な環境に埋め込むことではないだろうか。
  
12. 私にとっての政治とは
 政治を学ぶまで、私の人生はごく普通の若者の生活であった。友達とワイワイし、ゲームや漫画を楽しみ、運動をしたり、恋をしたり。社会で大変なことが起きているけれど、自分なんかには関係ない。偉い人がなんとかしてくれるだろう。今しかできないことをやり続けて、時間が経てば大人になる。就職して、働いて、結婚して、退職して...そうだ退職したら家族でゆったりと生活しよう。友達と会って語り明かそう。仕事仕事で大変なのは40年弱。それが終われば楽な人生が待っている。漫画やドラマの世界のように普通に大人になって結婚して、子供を作って、年金もらって過ごせば良い。お金持ちにも有名にもならなくて良い。そう、普通にさえ生きられればいい...普通にさえ。そう思っていた。
 しかし、気付いた時には思い描いていた“普通”の社会すら手の届かない世界になりかけていた。戦争をしない国日本は骨抜きとなり、国民の知る権利は犯され、公文書も大した意味を持たなくなっている。少子高齢化で若者の負担ばかりが増える。「年金は貰えないのではないか」という認識も若者の多くが抱いている。結婚に子供?そんなの無理。お金がない。一人で生きるのが精一杯。思い描いていた“普通”の社会すら、一つの“夢”になっていた。
この“夢”を“普通”に戻すためには、社会の構造や現状を大きく変える必要がある。変えることができるのは、一人一人の個人の力だけじゃ不可能である。それができるのは、リーダーシップをとって大きなものを動かせる政治家だけである。
 私にとっての政治とは、社会の構造や現状を変化させたり、保守するための大きな力。政治家とは、国民の夢を実現するために指揮をする存在。ただし、みんな動けの指揮者ではなく、みんなでやろうぜと責任を持つ指揮者である。
 今の政治や政治家はこの役目を果たしているのだろうか。ゼロではない。ただ十分でもない。十分であったら、こんな不安を抱いていない。だから、少しでも“夢”を実現するための“希望”を示す政治を私は応援する。“希望”とは、私たちが“普通”に生きることの保障。現在で言えば、医療や年金、子育て、教育といった“普通”の生活をするにあたって大きな支出となる項目の保障である。賃金の上昇にそこまで期待できず、相次いで起きる災害や有事によって予定外にお金がかかる昨今、人間の“未来”を支える支出の保障こそが“普通”を実現するためのキーポイントであると私は考える。そして、これに加えて、歴史の過ちを繰り返さない、嘘をつかない、くだらない権力の濫用で人が死なないような、全うで健全な政治こそが必ず必要だと心から信じている。
終わりに
 今回の一連の投稿は、大学を卒業し社会人へとなる一つの区切りに、大学生としてどのように政治と向き合い、共に生きてきたのかを述べるために記した。
 私の過去の話からリアルに起きた話、そして私の抱く考えについて、気が済むように書き綴った。そのため、論理的でなかったり因果関係が不明確であったり、表現として適していない部分もあるかも知れない。その点については先にお詫び申し上げたいと思う。
 私事であるが、近い将来、私の思い描くような“普通”の社会を実現するための指揮者として活躍したい熱い思いがある。もちろんまだまだ知識も経験も浅いし、あまりに未熟であるためその立場になりたいなんて身の程知らずと言われるかも知れない。
 ただ、私はこの言葉を大切にしている。
「夢を見せることができる人は、夢を語る人」
私の大きな夢が、これを読むあなたの、夢を語るための背中を押すことに役立てば幸いである。
 また、最後にこの言葉を自分へのエールという意味でも記述しておきたい。
「政治家になりたいではなく、なってほしいと思われる人になることが大切」
この言葉を忘れることなく、謙虚に真面目に私らしく、社会人として歩み続けることをここに誓います。
 ご愛読、ありがとうございました。