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『救えるか?絶滅寸前の着物文化』:バーバラ・ミントのピラミッド原則で論文を書く その3

論文あるいは小論文と言われるようなきちんとした文章を書くためにピラミッドストラクチャーを使っています。原典はバーバラ・ミント著『考える技術・書く技術』。最終原稿だけでなく、そこに至るプロセスも解説します。

この論文は2011年にダイヤモンド社の論文作成トレーニングの時に執筆したもの。採点を受けた時に、満点をもらいました。また、京都在住の帯の作家さんに読んでもらい、まさに業界全体で方向転換が必要なことを訴える良い内容だと講評をいただきました。

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ピラミッド原則の詳細は、その1『ネット社会は、リアル社会と同じように実名であるべきか?』で公開しているので、そちらを参照してください。その2『電子書籍が出版社を救う』も論文の構造と論文そのものを比較できるように解説していますが、今回は論文のみです。ぜひ、構造を読み取って下さい。

『救えるか?絶滅寸前の着物文化』

先日、京都旅行をした際に、縁あって着物の職人と話しをすることが出来た。西陣や京友禅の素晴らしさ、そしてそれに注ぐ自らの熱意を語る一方で、多くの職人は仕事が無く、ハローワークの世話になっているという実態を聞き、そのギャップの大きさに非常に驚いた。
京都から帰って少し調べてみると、着物市場は1981年の1兆8千億円をピークに減り続け、2008年には4千億円前後と、金額ベースで約5分の1、数量ベースではなんと10分の1に縮小している。

着物という日本が世界に誇る伝統文化を守るためには、もはや着物の普及よりも産業の継続を最優先に考え、和装技法の商品を供給する新たな市場の開拓が先決である。

着物小売業界の市場規模のピークは1981年である。ところが、着物の代表的な産地である京都の西陣織工業組合のデータをみてみると、生産地の出荷数量では1975年がピークであり、1981年では既に3割から4割の減少が見受けられる。
70年代から80年代にかけて、着物の主たる購入者である女性を取り巻く社会環境をみてみよう。70年代前半まではいわゆる高度成長期と呼ばれ、女性への高等教育が行き渡り、社会進出が活発化した。和服で家事を行っていた生活スタイルから、オフィスで洋服で仕事をする”OL”が増加していった。それに伴い、70年代は女性ファッション誌である「an an」「non-no」「JJ」「more」「クロワッサン」などが発刊され、洋服に関する情報が広く流通するようになり、女性は競って雑誌のファッションスタイルを取り入れるようになっていった。
女性のライフスタイルの変遷をみていくと、着物愛用者と着用機会は、70年代を境に大きく減少したことは明らかである。おそらく当時の着物業界は、需要の減少による売上減を避けるために、市場を拡大する努力ではなく、単価引き上げ策を重視したと思われる。1981年の小売市場金額のピークが出荷数量の減少時期に到来していること、催事販売・イベント販売の台頭やフォーマル路線による高級化が80年代に起こっていることが、業界あげて不透明な高価格路線を取ったことを示している。

着物業界が80年代に取った生き残り策は、間違いであった。成人式の着物に見られるように、着物への馴染みがなくなったわけではない。しかし、80年代当時の業界あげての施策が、回り回っていまの客離れを引き起こしているのである。女性のライフスタイルの変化と相まって、今後着物愛用者と着用機会の大幅な増加は望み薄と言わざるを得ない。

決定的に着物を着る回数が減ってしまった現状で残っている着物の特徴は、価格が高い、着ていく場所がない、着るのが難しい、手入れが大変といったネガティブなものばかりである。需要が少ないから、出荷も少なく、当然製造量も少ない。着物の製造は、非常に多くの工程に分かれており、蒸し屋のように数量がまとまらなければ採算割れする工程もある。西陣織工業組合員数の変化をみても、1981年の1,458人から2008年は474人と、職人の数は3分の1以下に減少している。しかし、ハローワークに世話になるほど仕事が無いと言うことは、職人の減少よりも遙かに市場の減少が加速していることを示している。
需要が不足し、供給能力が余り、職人が生活のために別の職につく。もし需要が上向きになったとしても、職人が足りない状況に直面する。着物が高度な織り・染めの技術から成り立っていることを考えると、将来の需要の増加にすぐさま対応するのは不可能であろう。その時に希少性が高まって、また小売価格がつり上がることが起こったなら、あるいは急激な需要に応じるため粗悪品を流通させたならば、着物産業は自らの首を絞めることになり、壊滅的な打撃を受けるであろう。伝統文化として残るかもしれないが、ビジネスとして成り立たず、着物は博物館でしかみられなくなる日がくるかもしれない。

市場の変化や顧客の消費トレンドを取り込めないのは、着物の生産・流通構造が原因である。製造工程は分業型で多工程に渡り、製造問屋、前売問屋などが複数介在する。製造問屋が白生地を仕入れ、染色、加工を施し、着物に仕立て上げる。染色、加工は、実際には詳細に細分化された工程を手作業で行うそれぞれの専門職人によって行われる。商品によっても違いがあるが、着尺の反物であれば25工程必要だと言われている。製造問屋で商品に仕上がった製品は、前売問屋や集産地問屋など複数の卸を通じて小売業者に商品が渡る。
かつては、問屋が商品の需給調整の役割を果たし、在庫リスクを分散させる効果もあったが、もはやそれが必要な需要量ではない。今では、製造から小売りまでのリードタイムが長期化し、各卸の在庫リスクが価格に上乗せされ、製造と顧客が遠く離れる状況を温存するだけとなってしまった。特に、製造問屋が商品の企画・発注を行い、見込み生産した商品を委託販売する構造は、在庫リスクを製造問屋が負担し、価格決定権を小売店が持つという点で、「売れる物が作られない」という事態を生んでいる。

職人や問屋、小売店が個別に努力しても、業界の構造的欠陥は払拭できない。多工程の製造を1カ所で行えるような効率的な設備や、需要の変化に柔軟に対応し製造できるSPA(製造小売)といった、業界全体がひとつのサプライチェーンとなるような取り組みが必要である。

既に産業として維持できるクリティカル・マスを下回っている着物業界。世界に誇る織りと染めの技術をどうビジネスに仕立て上げるか。職人含めた関係者の高年齢化を考慮すると、業界全体が今すぐに取り組まなければ10年もせずに壊滅する。伝統を残すために、新たな革新が着物業界に求められている。

まとめ

バーバラ・ミント著『考える技術・書く技術』で書かれたピラミッド原則に則した文章を書けるようになると、他者とのコミュニケーションや議論が生産性の高いものになります。さらに、自分の主張を、1分の立ち話でも5分のPitchでも2時間のセミナーでも即座に話せるようになるはずです。


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