近年の建築の構成・表現のメモ

2021年5月9日 更新

考えていることをつらつらと書いて後で、まとめる用のノートとしている。

まとまるのは最後なのでそれまで定期的に修正、追記していくので途中この考えはおかしいと思えば変わっていくので、その点、ご承知おきいただきたい。

昨年度までとある大学の構法系の研究室を手伝っていたこともありゼミでタイトルにあるようなことを研究している学生がいた。

そのときは建築の構造とそれ自体が表出しているか、仕上げ材によって隠蔽されているか、もしくは隠蔽されつつそれがあることが分かるようになっているか(鉄骨梁が合板で囲まれて壁や天井より凸になっているような状態)が見られた。

現在、長坂常、青木弘司をはじめとして様々な設計事務所が木軸や、下地自体を最終的な仕上げの状態として表現することが多くなったと思う。

それぞれに共通することとして、庁舎等に見られるような均質な素材のイメージから離れ、一本一本、一枚一枚の構成部材が荒々しく存在しているような視覚感覚を得られることだ(またその真逆で【奥沢の家/スキーマ】のようにその荒々しさを塗装によって一部を真っさらにするような表現も近年よく見られる)。

近代建築の目指したホワイトキューブの建築とは明らかに違うこの表現は一体どこからきて最終的にどこへ帰着するのだろうか。そして、この建築表現は人々にどのような影響を与え、何を考えさせるのか。そんなことを考えたいと、まだ曖昧ながら考えている。

1)ブルータリズムと(参考:『【マトリクスで読む】20世紀のデザイン』)

1950年ごろコルビジュエやスミッソンらの設備やコンクリートの素材自体をむき出しにした建築スタイルが流行した。

この当時のヨーロッパでは大衆消費社会への傾向や、戦後における住宅の素早い供給需要といった背景を持ち、コルビジュエ が好んで使用した安価でメンテナンスのいらない現場施工の型枠コンクリートによる構法が取り入れられ、また、レンガなど地域素材が利用されるなどして、それ自体が表現として顕れてきた時代である。

この経済合理性と地域素材について考えると現在の建築表現に関して関連があると仮説が立てられる。

例えば、地方や東京周縁部でよく見られる町家、長屋のリノベーション事例における表現は元々の柱梁を構造補強をした上でそのままあらわしとしている。この時、施主からの依頼として経済的に安価であることが求められていると予想できる(根拠となる事例については調査中・追記予定)。

この時、建物の改修にかかる費用を最小限に抑えるにはタイル張りや新しいボード+塗装の仕上げはなるべく削除し、防火の基準さえクリアできれば、新しく追加するのは建築を構造物として成り立たせる合板のみで終わらせるという設計手法は一つの解であることは容易に考えられる。

またそのような構造補強の方法や、既存躯体となる木軸組みは、戦前からの町人地のような生活環境を示した日本的ヴァナキュラーの表現とも捉えられるだろう。

そしてそれは参考図書でも述べられているブルータリズムの解釈の言葉を借りるなら、日本の特徴となる建築物の構造・機能の意味を視覚表現とする手法と考えられ、また構成要素を分解、階層化し認識させる手法とも言えるだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?