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ジーナヒッツ著、一ノ瀬正樹監訳、青木陽子訳『哲学的スキルを磨く知的思考術』を読んでの感想

ジーナヒッツ著、一ノ瀬正樹監訳、青木陽子訳『哲学的スキルを磨く知的思考術』を読んでの感想を書きたいと思います。

この本の中で気になったことはいくつもありますが、その中で「「富」は何かを得るための手段であって、富を得ること自体を目的にしてはならない」
ということが特に気になりました。そして富は余暇を生むための手段として使うことがよい、ということも書かれていました。

たとえば以前書いたブログで、古代ギリシアでいう「奴隷」に対する「自由人」は奴隷に労働を担わせる形で自分の余暇を得ていました。そしてその余暇は良い「市民」となり、政治や裁判など社会へ参加するのに必要な「教養」を身につけるための時間に当てられていました。

つまり富を得たならば、余暇を得るため、教養などを身につけるなどの時間を得るために使うということが好ましい、ということです。すなわちお金で時間を買う、ということでしょうか。

現代でも富を使って時間を得るというような例があるな、とふと思いました。たとえば堀江貴文著『多動力』の中で紹介されていたのは、ホリエモンは家事と洗濯を代行してもらっている、ということです。そしてできた時間を自分のやりたいことやクリエイティブな活動に使うということでした。

また、藤原和博著『たった一度の人生を変える勉強をしよう』という本の中で、藤原和博さんが紹介していたのは、「ご自身(藤原和博さん)が帰宅する際に、バスで帰るのとタクシーで帰るのとでは15分違います。(バスで帰るとバス到着時間の不規則などで15分ほど待たされてしまい、またそれによってイライラしてしまうのだそうです。)自分のお給料を時給換算すると4000円/hで、15分あたり1000円の計算になります。自分の15分というのは1000円の価値があり、15分イライラしながらバスを待つよりも、1000円でタクシーに乗った方がよりよい時間を何かに使うことができます」ということでした。

これらの2つの例はいずれも、(仕事で得た)「富(お金)」を自身の時間(余暇)を得るために使っています。

しかしながら、すなわち「仕事」というのは「富」を得るためにすることで、「富」は「余暇」を得るために使うべきである、「余暇」を得ることこそが目的だ、ということも書かれていたのですが、それは私の意見とは少し違っているように思います。

「仕事」をインターネットで検索してみると次のようにあります。

「仕事」
何かを作り出す、または、成し遂げるための行動。(大辞泉)

つまり自分が何か作りたいもの、成し遂げたいことのための行動が「仕事」である、ということです。仕事とは「余暇」を得るための手段というだけではないと思います。

そして仕事の中にやりたいことや情熱、夢、志(こころざし)、生きがいといったものがあるのではないか、というのが私の意見です。

マンガの読みすぎかもしれませんが、原泰久著『キングダム』の中で主人公「信」は天下の大将軍に憧れ、いつかは「大将軍」になりたいと夢想します。この大将軍というのは、戦(いくさ)に明け暮れ、戦に生き、戦に死んでいきます。そして私もそのような生き方に憧れます。戦は現代でいう「仕事」かどうかはわかりませんが。。

ともあれ自由人になりたい!

以上です。

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