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アラン・ローマックス・アーカイヴ


 「トーテム Song for home」という台湾ミュージシャンのドキュメンタリー映画を撮ってもうかれこれ10年以上経つが、写真家としてドキュメンタリー映像を撮るのはとても自然な流れだと今でも思っている。それが写真ではなくて動画だという理由は音楽が絡んでいる場合が多い。いずれにしても被写体が生の強さに溢れている時、写真であれ、動画であれ撮らずにはいられない。

 ミュージシャンが曲を演奏する姿はなによりもかっこいいものだ。それが例えプロのミュージシャンでなくとも、人が歌を歌ったり音楽を演奏したりするとき、その人が何か目に見えない世界に入っているのがわかる。その姿はとても美しい。僕が子供の頃、普段は趣味の畑から帰ってきてビールを飲んでテレビを見ているだけの祖父が、気が向くとオルガンを弾いたり、バイオリンを弾いたりしてくれた。別段演奏が上手な訳でもないのだが、家族には楽器を演奏できる者が他にいなかったから、その姿は特別に見えた。子供の僕にはまるで魔法のようすら見えた。その頃はビデオカメラなんて持ってなかったから、その姿を撮ることは出来なかった。写真すら撮っていない。僕が写真を撮り始めた頃にはもう楽器の演奏はやめてしまっていた。

 二十代の頃、ニューヨークの親友マイクと車でアメリカ横断をしたことがあって、その時マイクはサキソフォンを練習し始めていた。彼曰く、「別に何歳から始めたっていいんだ、続けていればあっという間にベテランさ」というわけだ。独学で気に入ったフレーズをどこでも延々と吹いていた。ただそこがニューヨークだからって橋の下で演奏できるのは上手い人たちで、まだ始めたばかりのマイクは演奏する場所に困っていたのだが、かれにとってアメリカ横断はうってつけの練習の機会だった。僕が運転する時は後部座席でサックスを吹いて、山道の誰もいない休憩所につけば、山に向かってこだまさせて楽しんだ。そういうシーンは動画におさめたから、探せばどこかにあるはずだ。僕にはトランペットを習わせようとしてトランクに積んでいたが、僕の方は演奏は全くダメだった。
 
 アメリカ横断をした時に作った映像作品、それが僕にとっては初めての長編ドキュメンタリーだったが、「Let’s go for a drive」という、1997年のパルコギャラリーでの展覧会の会場でモニターで流してそれきりになってしまった。今思うと、1時間以上もあるその映像が自分にとって見るに耐えたのは、マイクが楽器を演奏するシーンがあったからだと思う。

 話が遠回りしてきたが、なぜ今更そんな話を持ち出したかというと、アラン・ローマックス・アーカイブという、YouTubeチャンネルを最近よく見ているからだ。アラン・ローマックスは子供の頃からほぼ一生をかけて、音楽の採集をしていた人だ。アメリカ民謡の採集家の父の元に着き、10代の頃から父親についてそれらのフィールドレコーディングの手伝いをし、いつのまにかその仕事を引き継ぎ、アメリカを主に各国のまだ知られぬ民謡を録音して回った。その様子はみすず書房から出ているアラン・ローマックス選集に書かれているが、前半は音楽評論というよりまだ知らぬ音楽を求めての冒険物語のようだ。ハイチでの録音ではゾンビが登場したり(それは死んだものを生き返らせて奴隷に使うためなのだが)、その話は音楽の話よりも多くて謎めいていて、とても面白い。民謡採集というのが生活そのもののようで、ローマックスが冒険家にしか思えない。

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写真家の若木信吾です。 写真に関するあれこれです。写真家たちのインタビューや、ちょっとした技術的なこと、僕の周辺で起こっていること、それら…

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