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前略⑦

すでに記したように、みどりとは大学三年の春、ゼミが同じだったことがきっかけで知り合い、すぐに付き合い始めた。四月の終わり、ゼミ生の顔合わせのために、と酒好きの教授が開いてくれた懇親会で、みどりと初めて口を聞いた。

私はちょうどその頃、葵さんに彼氏がいたことを初めて知って、手ひどい傷を受けていた。つまり、二十歳を過ぎたというのに、まるで中学生か高校生みたいに、わかりやすくやさぐれていた。

ただ、反抗期の中高生ならまだしも、私はすでに成人のはしくれだった。だから、もっぱらやけ酒をして、話をのない憂さからどうにか目を背けようとばかりしていた。

そんな数週間を過ごした後の、ゼミの懇親会だった。
十四、五人ほどで二十人は入れる座敷を貸し切っていたから、会が深まるにつれ、教授を筆頭に、あちこちで固まってはさまざまな議論で熱く盛り上がっていた。

私はちょうどその時、話し疲れて議論の輪から抜けて、テーブルの上に散らばって残っていた料理をつまみに、ぬるくなった日本酒を飲むことに専念していた。

「おつかれ。君、さっきからすごいペースで飲んでるね。お酒強いんだね」
空いていた私のすぐ隣の座布団に、そう言って紺のロングスカートにカーキのセーター姿の女性が腰を下ろした。それがみどりだった。

手には私と同じ日本酒の猪口を持って、意思の強そうな大きな瞳を私に向けていた。髪をかけた左耳に、銀のフープピアスがぶらさがっていた。それまでも挨拶程度をした事はあったが、二人でこんなふうに話したことはなかった。

「吉田さんも強いね」
どうぞ、ととりあえず手元にあった徳利を向けた。
「みどりでいいよ。私もナギサくんって呼びたいし。ありがとう」
とみどりは満足そうに酒を受けた。
「じゃぁ、みどりさん、とりあえず乾杯」
猪口をぶつけると、私たちはどちらも一息に飲み干した。同時に猪口をテーブルに置き、微笑みを浮かべあった。

「みんな盛り上がってるね。ナギサくんは、ちょっと休憩?」
「そんな感じ。みどりさんも、さっき先生のとこで熱かったね」
「見てたんだ」
「かっこいいな、と思って」
「ありがと」
みどりがいかにも照れ臭そうにはにかんで、酒を注いでくれた。徳利をもらおうとすると、手酌が好きなの、とかわされた

「じゃあ、もう一回乾杯しよう」
「何に?」
「わたしのふるった熱弁に」
とみどりはおどける調子で首をかしげると、猪口を私の猪口にぶつけて、また一息に空にした。

私も猪口を干さないわけにはいかなかった。
「やっぱり強いね」
と、みどりがうれしそうにまた注いだ。今度は徳利を奪うことに成功した。こぼさないでね、と優しくたしなめる声でみどりが笑った。ふちのギリギリまで注いでやると、ナギサくんは上手だね、と私の目を見つめてきた。

顔は赤くはなっていないが、潤んだ瞳といい、どこか甘く寄りかかるような声の響きといい、ちゃんと酔いつつあるらしかった。

「乾杯する?」
私もつい楽しくなって、みどりの瞳を見て見つめたまま、言った。
「うん、する」
と言って、さっきよりも柔らかく、猪口をぶつけ合った。今度はいくらかあどけない響きの声だった。声も表情も豊かな人だ、と思った。

誰か飲みさしの、グラスに半分ほど残っていたチェイサーを一息に飲み、みどりは美味そうに喉を鳴らした。
「いい飲みっぷりだね」
「ありがと。ねえ、今日は時計、つけてないんだね」
私の反応を楽しむかのように、彼女は私の左手首をたっぷりと見つめ、肌を撫でるように少しずつ視線を上げていった。

私と目が合うと、ふふ、と微笑を漏らしてまた小首をかしげた。私はつい、視線をそらしてしまった。目が冴えるほど深い紺色のスカートから突き出た足首は、骨がくっきりと浮かんでいて、足の甲も、形の良い指も、白く、すべすべとしているように見えた。

「ああ、うん」
「どうして?」
「たまたまかな」
嘘だった。本当は、葵さんに彼氏がいたと知ったショックで、つけるのをやめたばかりだったのだ。

一年前に、成人祝いに葵さんからもらって以来、ほとんど毎日つけていた時計だった。
「そうなんだ」
と言ってみどりさんがふいに押し黙った。表情を見ると、ぼんやりと猪口を眺め、それを指先で撫でていた。
「酔った?」
「そうかも。ナギサくんは?」
「まだ大丈夫」
「じゃあ、注いで?」

みどりがはっきりと甘えるまなざしで、私の目をまっすぐにのぞきこんだ。
私たちはゆっくりと注ぎ合って、また一息で飲んだ。急激に酔いが回りはじめた。

トイレに行こうと立ち上がった拍子に、みどりのスカートの端を踏んでしまった。
「ごめん」
「ちゃんと目を見て言って」
座ったまま私を見上げるみどりの眼差しは、角度のせいか、怒っているみたいだった。
「ごめん。痛かった?」
「わたし、そういう態度、好きじゃないな」
正直に言って、何か私の振る舞いに問題があったとは思えなかった。酔っているせいで、

感情の起伏がバカになっているのだと、思った。
それでトイレに行って戻ってくると、みどりは猪口を持ったままテーブルに両ひじをついて、ほとんど眠りかけていた。他のゼミ生たちは相変わらずそれぞれの輪の中で議論に熱中していた。
「お待たせ。大丈夫」
声をかけると、みどりの肩がびくっと動いた。髪からのぞく銀のフープピアスが光って見えた。

「大丈夫じゃない、眠いのよ」
さっきまでより、少しろれつがおぼつかなくなっていた。彼女の手から猪口を取り上げ、水の入っているグラスを握らせてやった。

「水、飲むといいよ」
「ナギサくん、そんなだから振られるんだよ」
「どうして知ってる?」
「わたしと初めて会ったと思ってる?」
みどりは、酔いの深まりが明らかな口調でそう言うと、グラスの水を勢いよく飲んだ。

それから顔にかかった髪をかきあげた。表情に、一気に生気が蘇ったように見えた。髪をかきあげた表紙に甘く、熱のこもった匂いが鼻をくすぐった。目の奥がぎゅっと熱くなる香りだった。

喉が渇いていたが、あいにくと、私の手の届く範囲には、もう水のグラスはなかった。しょうがなく、私はみどりが左手に握ったままだったグラスを取ろうとした。彼女は何も言わず、抵抗もせずに、私の指が彼女の指に触れるのを許した。その間もずっと、みどりは私の目を覗き込んだままだった。

私はあえて気にしていないふうを装って、グラスの底に残っていたわずかばかりの水を飲み干した。喉の渇きはまだ続いていた。
あきらめて、私はグラスをテーブルに戻し、みどりの指をちょっと撫でてみた。
「ちょっと、くすぐったい」
「きれいな手だね」
「知ってる」
「それにそのピアスも似合ってる」
「ありがとう。で、それで?」

私が答えに窮したのを見てとると、みどりはテーブルの下で私の指をはたき、そのまま指を絡めてきた。軽く握り返してみると、彼女も力を入れ返してきた。

「今日のためにおろしたスカートも踏んでくれちゃうし、君ってほんとに見えてないよね。ナギサくん」
「ごめん、でも」
「新宿のエジンバラ。君、最近まで年上のきれいな女の人とよく来てたでしょ」

エジンバラは、上京して以来、私が最もよく通っていた喫茶店だった。ほとんどが、葵さんとの待ち合わせや出かけた帰りなんかに通っていたのだ。
「わたし、大学入ってからずっとあの店でバイトしてるの。ほら、ちゃんとよく見て。ほんとに見覚えない?」
私は改めてみどりを見つめた。隣に並んで座っているせいで、肩の体温が感じられるほどだった。

そんなふうに、みどりとの出会いは、強烈な印象とともにはじまったのだ。

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