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前略⑥

大森が酒浸りだったのは、期間て言うとせいぜい一年かそこらだったと思う。そのうちの前半はしばしば私は大森と会っていたが、後半はよく知らない。

大森が仕事を辞めて、住んでいたアパートを引っ越し、それにともなって連絡が遠のいたからだ。当時付き合いのあった友人たちの中には、大森が職場の女と不倫していたのでは、とまことしやかに物語るやつもいた。真相はわからないが。

そして、その頃の私はと言えば、仕事がようやく面白く感じられるようになりつつあった。同じ部署に何人か後輩もでき、重要なポジションも任されるようになっていた。

ただ、一方で大学時代の友人たちと連絡を取り合う頻度は、徐々に少なくなっていった。どこか寂しい気分はあったが、その分大人になったのだという気もしていた。

そもそもの話として、私が東京の大学を受験しようと思ったのは、葵さんがきっかけだった。私が中学三年生の時、葵さんは東京の大学に入学するため、上京して一人暮らしを始めた。お盆や年末年始は会うことができたが、それ以外はめったに会うことができなかった。

その頃の私は、もうはっきりと彼女の恋心を自覚していた。だから、大学を卒業しても地元に帰ってくるつもりはないと言う葵さんのことを思うと、どうしても東京の大学に通いたかったのだ。できれば、葵さんと同じ大学へ。
結果として、学部こそ違うものの、葵さんが卒業して都内で働き始めるのと入れ替わりで、私は彼女と同じ大学に通い始めた。

同じように上京して葵さんが通った大学に自分も通う。たったそれだけのことなのに、青い山に行くと近づけたようで、浮かれていた。
とはいえ、私の東京暮らしが始まってからは、実際、それまでの四年と比べてあおいさんと会える頻度はぐんと増した。

私は大学やバイト、葵さんは新社会人として、それぞれ忙しくしてはいたものの、多い時は週に一度、なかなか都合が合わない時でも、それでも月に一度は会うことができた。

葵さんの仕事帰りや休日にご飯を食べたり、たまにはお互いの家でご飯を食べてテレビを見て過ごしたりした。まるで恋人同士のような時間の過ごし方だと思い、私は東京に来て良かったと心底思ったものだった。

二年目に入ると、葵さんが仕事に慣れてきたおかげか、時々大学に会いに来てくれるようになった。私は嬉しくて、つい大森やサークル仲間に紹介したりした。
私はきっとこのまま葵さんとの関係を深めていけば、そのうちに、そう遠くないうちに、恋人として付き合えるようになるのではないか、と強く願っていた。

しかし、結論から言うと、そうはならなかった。私が大学三年になり、もうそろそろ卒業後の就職について考えなければ、と思うようになった四月の半ばのことだ。

葵さんから、彼氏がいるとだと言われた。
「大学時代の友達で、卒業してからもちょくちょく会ってたんだけどね」
と照れ臭そうにはにかむ葵さんは、同時にどこかばつが悪そうにも見えた。
ただ、私はかろうじて慰められたような気分だった。というのも、少なくとも、彼氏ができたということを、私に対して後ろめたく感じてくれているのだろう、そう思ったからだ。

そして私も、ちょうどそれから数ヵ月後に、同じゼミで知り合ったみどりと付き合うことになり、葵さんとはあまり連絡を取らないようになっていった。

そして月日は流れ、五年ほどが過ぎ、大森が酒に溺れていた頃、あるよく晴れた土曜日の午後、私は葵さんと再会した。過ごしやすい風の吹く、十月半ばの事だった。

再会したといっても、互いに恋人ができてからの五年間、一度も会わなかった、というわけではない。地元の幼なじみという関係は変わらないし、頻度も年々減っていきはしたが、帰省するならば同じタイミングで、と日程を合わせたりもした。

それに葵さんは、当時私と付き合っていたみどりと会ったことがあるし、私のほうも、葵さんの彼氏だった人と会ったことがあった。
だから、ここで言う再会とは、私たちの関係に新しい変化があった、ということだ。

この頃、葵さんも私も恋人と別れていて、独り身だった。もはやかつてほどの切実な期待はしていなかったものの、久しぶりに呼び出された私は、てっきり葵さんの気が向いてデートに誘ってくれたのかな、などという気軽な気分で、指定された新宿の喫茶店に向かった。

ちなみにこの喫茶店とは、大森と待ち合わせたのと同じ店である。
待ち合わせの時間より十五分ほど早く店に着いたが、すでに葵さんは来ていた。私に気づいて表情を和らげ、手招きする葵さんを見て、私は相変わらず胸が高鳴ってしまうのだった。

「早かったね、ナギサくん」
「葵さんこそ」
「わたしもちょうど今来たところなの」

店内は八割ほど席が埋まっていた。お冷やとおしぼりを持ってきてくれた学生バイト風の女の子に、コーヒーと紅茶を注文した。

「このお店、来月から二十四時間営業じゃなくなるんだ」
懐かしむように店内を眺めていた葵さんが、すぐそばの壁に貼られていた紙を示して言った。

「本当ですね」
私も張り紙を読んで、そう言った。

「学生の時なんかめちゃくちゃ通ってたから、寂しくなりますね」
「そうね。私もよく来たなあ。ナギサくんともよく来たよね」
「そうですね」

これきり、飲み物が運ばれてくるまで、葵さんは黙っていた。所在なげに視線を漂わせて、私と目が合うと微笑をのぞかせるものの、何も言わないでいた。まるで次に言うべき言葉を探してるみたいに。私も、つられて黙ったままでいた。

運ばれてきたコーヒーを私はそのまま一口飲み、葵さんは紅茶にミルクを少し垂らしてから口をつけた。
「実は、言っておきたいことがあって。それで今日は呼んだの」
と、葵さんは姿勢を正した。何ですか急に改まって、と茶化そうかと思ったが、彼女の表情を見るとできなくなってしまった。私は黙ったまま、うなずいた。

「結構、わたしなりに考えたんだけどね。わたしね、女の人の方が好きみたい。異性より同姓の人の方が、恋愛対象になるって意味で」
「え、でも、前は男の人と付き合ってたじゃん。ほら、宮田さん」
「うん。でもあの時もやっぱりなんか違和感があって。今は女の子と付き合ってるんだけど、すごくしっくりくるっていうかさ」

葵さんのこの表明に驚きこそしたが、幸いなことに、と言うべきか、それで私の葵さんを見る目は変わらなかった。
「葵さんが自分でいいと思えることなら、俺は何でもいいと思う」
「ありがとう。別にわざわざ言うことでもないかなって思ったんだけど、ナギサくんにはちゃんと伝えておきたくてさ。まあそんなわけで、これからもよろしくね」

葵さんはそう言うと、安堵したようにぱっと表情を和らげた。
この時から、私の失恋は揺るがない事実となったが、葵さんとの交流はその後も続いた。今度は、葵さんの恋人と三人で会うことも増えた。

ただ、それから三年後、今から四年前の冬を境に、葵さんと恋人は、二人揃って東京からいなくなった。それきり、葵さんは実家とも連絡をとっていないらしい。
二人が東京から姿を消す前日、私は葵さんと会っている。

その時の彼女の表情と言葉は、今でも鮮明に覚えている。話の最後、去り際に、彼女はこう言った。
「ナギサくんが困った時は、私にできることなら力になるから、必ず言ってね。だから、これからも元気でね。じゃあ、またね」
とはいえ、電話もメールもつながらなくなった相手に、どうやって頼ればいいのだろうか?

それから時折、私は彼女の両親のことを考えるようになった。通っていた高校の教師と恋愛関係になり、卒業後は教師とともに駆け落ち同然で姿を消したナツ兄と、周囲の反対を押しきって同性の恋人と生きていくことを決めた葵さん。二人とその両親の気持ちを想像しようとすると、どうにも切なくてならなかった。

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