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最低だけど最高だった

「運」は意味合いの割に漢字をみると「自発性」を感じさせる。

はこぶこと、はこぶもの。つまりは、運を手元に手繰り寄せる方法は、一歩一歩、歩みを「運ぶ」ことでしかないのだと思う。6/2(土)に参加した戸隠マウンテントレイル(20kmコース)でそのことを強く感じた。

人は基本的に、未来を「良い」ように捉える。なぜならば、そうでなければ明日を生きることが出来ないからだ。そして、その予測に対しての「誤差修正」をひたすら繰り返している。今回も例に漏れず、(ロードで練習をしていたし)通用するだろうと、随分と楽観的に捉えていた。山道を走ることを一度も経験したことないのに、である。

スタート地点から2km進んだところから、瑪瑙山(めのうさん)の頂上を目指すトレイルが始まった。1300mの地点から1700mまで駆け上がるいわゆる「坂登り」だ。坂というよりも壁と言った方が表現としては適切かもしれない。これが5km地点まで続くのだ。

早速で申し訳ないが、この地点で予測が大きく外れた。全く通用しない足腰体心。まだ3kmしか進んでいないのに、完璧に面食らって、息が上がり足が前に進まなくなってしまったのだ。残り15km以上あるのにもうこのザマかと思うと、もう「絶望」するしかなかった。そして「もう無理、リタイアする」なんて弱音を共に走った友人に吐露しまくっていた。なんとまあ情けない。でも、それほど坂登りがしんどかった。吐きそうで倒れそうになった。

このレースは、14kmの第一セクションと、6kmの第二セクションに別れており、14km地点に「関門」があった。ルールはこの関門を、3時間15分以内に通過しなければ無念のリタイアとなってしまうのだ。関門さえ時間内に通過すれば、あとの6kmは歩いてゴールでもいい。

スタートから、僕のペースに合わせてくれていた友人達が「このままでは俺たちもマズイ」と思うのは当然のことで、2人は僕よりも先に歩を進めた。

そして、一人になり再び「絶望」した。一人になった後のシングルトレイルでは、感謝したり、嫉妬したり、尊敬したり、自責をしたり、普段考えようもないことを考えたりした。極限状態に置かれた自分自身のことはまだまだ全然知らない。内省するいい時間ではあった。

それでも「14kmのタイムには絶対に間に合わない」残念な気持ちであることは変わらない。ただ、歩みは止めずに力の限り前に進んだ。

そして、13.5km地点に差し掛かった時

「関門、残り5分で閉まります!」

と遠くの方から叫ぶスタッフの声が聞こえた。

「え?」

「残り5分?」

「まだ関門、閉じてないの?」

「これリタイア免れた感じ??」

「希望」が見え途端に、体の中から力が急に湧いてきた。こんな力がどこに眠っていたのだろう。みるみる力が溢れ出てくる。そして歩みが進む。

絶望があってこその希望。絶望と希望はすごく近い距離にある感情で、二つで一つの感情なのかもしれないとこの時思った。と同時に、僕は「運」がいい、「ビギナーズラック」を人生初めて感じることができた。エイドで水分、塩分、カロリーを蓄えまくり残り6kmを無事にクリア。トレイルラン、初挑戦で初完走を遂げた。結果は482人中453位だった。

僕より後ろは途中リタイアなので、完走者の中では僕が「最終走者」だった。何を隠そう、2018年戸隠マンテントレイルの最終ランナーはこの僕だ。場所が場所だから、忍法で「隠そう」なんてことは思わない。これが今の自分の実力。位置が分かれば、ここから先はどこまで高めるかだけを考えればいい。シンプルでとても分かりやすい。

ゴールで待っていてくれた友人に祝福され、ゴール地点にいた群衆に祝福され、この上ないハピネスを感じた。人生初のトレイルランは「最低だけど最高」だった。

「運」は、その人の意思や努力ではどうしようもない巡り合わせのことと辞書には書いてあるけれど、本当は、その人の意志や努力が「運」んでくるものなんだと思う。「生きていればいつかいいことがある」と先人達がこぞって言うのはきっとこういうことなのかな。これからも焦らずに一歩ずつ歩みを運んでいこうと思う。

エイドで食べたチップスターと飲んだコーラが美味すぎたんで、トレイルランにはまた出ようと思う。理由はなんだっていい。


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