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ペップの狂気 妥協なき理想主義が生むフットボールの究極形

ペップの狂気 妥協なき理想主義が生むフットボールの究極形

D.シュルツェ=マルメリンク (著), 清水英斗 (監修), 鈴木達朗 (翻訳)

【五段階評価】

★★★★

【印象に残った言葉】

「ヒポクラテスによれば、医学しか知らないものは、医学について何も知らないのと同じだ。そして、サッカーしか知らない者は、サッカーについて何も分かっていないのだ。グアルディオラはサッカー以外のこともよくわかっている。彼は教養を身につけているのだ。」

「常に主役はボールだ。トレーニングはすべて動きを自動化するために行われる。」

「選手たちのコンディションに必要なのは、スプリントし、止まり、ジャンプし、方向を変え、ターンし、またスプリントし、止まり、ジョギングし、ジャンプし、スプリントすることだ。選手が90分間ずっと同じテンポで走り続けるためのトレーニングは必要ない。」

チャビ
「グアルディオラは常に、なぜそうしなければならないのか、理由を説明してきた。」

ドイツ語による質問に対して、グアルディオラは一生懸命にすべてドイツ語で答えてみせたのだ。

つまり、彼の6つ目の言語である。彼がいうように、たった4ヵ月しかドイツ語の準備をしていなかったとすれば、彼のドイツ語は十分すぎるほどの出来だった。

【感想】

グアルディオラという人間の生い立ちからプレーヤー、そして影響を受けた監督。指導者としての哲学などが十分すぎるほど分かる一冊。

タイトルにもあるように妥協なき理想主義を追い求めるあまり許容できない人間や属性、国とは生涯合致することはないのではと感じさせる部分も少なからずある。

じゃあ理想を追求してエゴが強いかと言えばそんなことはない。それはなぜかと考えると様々な趣味や好奇心からくる教養こそ全てではないか思わせる。

言葉の表現力であったり、選手への対応、サッカーに対する美学の追及はサッカーだけを知っているから出来るのではなく、サッカー以外を経験し知っている故の芸術品としての視点を持っているのではないか。

【どんな人が読むべきか】

選手時代には自分と指揮官に「なぜ」を求めて、監督時代は周りと選手に「なぜ」を伝えてと細部に拘りぬくディティールは、紛れもなくグアルディオラの頭の中にある理想に近づくために必要だから実行する以外に他ならない。

じゃあ、自分に置き換えた場合に何を学ぶべきかと言えばあらゆることに疑問を持ち、逆の(教える)立場であればあらゆる疑問に答えを持っておくことの重要性を教えてくれている。

人は往々にして質問されなければ答えなかったり、曖昧な回答で逃げようとしてしまう。

ただ、自分で考えて自分で結論を導く訓練は今あるものに疑問を投げかけ自分自身に問いかけることから始まることではないだろうか。

そんな一歩一歩の積み重ねが自分の哲学を確固たるものにし、自信となって人生に幅と深みをもたらせてくれる重要性を教えてくれる一冊となっている。


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