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「自分」を受け入れるための読書

さて、前回は読書がもたらす空想と想像と妄想、
ということで、
本を読んでいることをいろんなことを考えるよね~
と書いていきました。

書を読む、
ということは、
誰かの考えに触れる
ということですが、
それによってまた
自分の考えも変わる。

誰かのエネルギーに触れて、
自分のエネルギーに変化が生まれるように、
書を読むことによって、
自分の考え方も刻々と変わっていくのです。

面白いですね。



中身の変化は外からはわからない


人の内面というものは、
外からは見えない。

でも、
実際には大きく変わっている。

昨日と今日の自分は、
自分自身でも変わっているように
思わないけれど、
実際には変わっている。

物理的にも細胞分裂により、
全然違う自分になっているけれど、
精神的にも、
24時間もの体験が、
また新しい自分を作っているはずなのだ。

けれど、そんなことには気づかず、
というか意識せず、
昨日の延長線上に今日はやってくる。

驚くぐらい、
何も変わっていない日常を、
判を押したように過ごしていく。

鏡を見ても、
昨日との違いはない。

昨日会った同僚に会えば、
まったく同じように接してくれる。

何なら2年ぶりに会った友達でさえ、
2年前とまったく同じように接してくれるわけで、
だから時間の経過なんて、
理解はしていても意識はしていない。

むしろ、
友達の子供の変化や成長を見ることによって、
「あ~時間が経っているんだな」と感じるような。

そのぐらい「時間の経過」については、
意識しないとなかなか認識できないんじゃないかなと思う。

10年前の写真を見て、
「ちょっと太ったな」とか、
「さすがに肌が若いな」とか、
やっと気づけるぐらい。

白髪が増えたな、とか
食べられなくなったな、とか
わかりやすい変化がないと、
いつもと同じように考えてしまう。



「本当のこと」を受け入れたときに、正しく対処するために。


ここで読書だ。

本を読んでいると、
先にそういうの教えてくれるんですよ。

前回と内容はほぼかぶってしまうけれど、
○○歳ぐらいになるとこういう心境になるのか、
こういう環境だとこんな風に感じるんだなとか、
割とリアルに考えることができる。

だから、自分がその状況になったときに、
「あっ、これ読んだことあるぞ」というような、
そんな認識になるのだ。

そうやって自分の老いというか、
年齢を自覚することができる。

40歳になって驚くことは、
これまでの人生でできたことは、
まだできると思っていること。

特に20代ぐらいにできたことは、
今でもできると本気で信じている。

だから、子供の運動会で頑張ってケガしちゃうお父さんとか、
ガードレール乗り越えようとして転んでしまうおじさんとかが出てくると思うんだけど、
大事なのは「自分を知る」ということです。




周りの目のほうが、案外正しいことがある


思ったよりも周りは自分のことをシビアに見ていて、
どう考えても周りからはおじさんに見られている。

なのに、自分だけはまだまだ「おじさんにはならないぞ」と思っている。

もうおじさんなんですよ笑。

だから、おじさんはおじさんになりに、
おじさんということを受け入れて、
おじさんと戦っていくというか。

若々しくいたいならば、
現状を受け入れたうえで、
「年の割に若い」を目指していくというか。

そんなことが大事なのかなぁと思います。

SNS全盛の時代は、
誰にどう思われるかが第一!!
みたいな風潮がありますが、
本当に大事なのは、
自分が自分のことをどう思っているかだよ。

人にちやほやされたって、
自分のことを好きじゃなければ、
幸せにはなれないんじゃないかなぁと。

今日やったこと、
明日やること、
一つずつ、少しずつ、
増やしていければいいなと思っているのです。



ここまで読んでいただいてありがとうございます!

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