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読書がもたらす空想と想像と妄想


さて、前回は「読書は一度立ち止まって考えさせてくれる時間をくれる」ということについて書いていきました。

動画とは違って、
本は自分のペースで読むことができる。
感動したところでは止まり、
よくわからなくなったら戻り、
自分の理解と合わせて進めることができる。

たしかに動画も止まったり、戻ったりすることはできるけれど、
感動したところでいったん止めて、とかやる人はあんまりいないと思う。

でも読書の場合は、感動すると、ページを繰る手が止まってしまいます。
いったんストップ、ちょっと待った、、
みたいな感じになる。

小説じゃなければ、
「ちょっと待てよ、ということは、、、」
みたいな時間もくれるわけです。

これがなかなかいいですね。

融通はきかなくなるかもしれないけれど笑、
自分のペースで物事を考えられるのは、
奥深くまで考えることができるので面白いです。

さて、前回は「読書が強制的にネタをくれる」ということも書きました。

何かについて考えるわけではなくても、
本を読むことで新しいことを知ったり、
自分の「考える」きっかけをくれたりします。

それってすごいことですよ。



小説によって未来を想像することができる


たとえば東野圭吾さんの小説を読んでいると、
代理母のはなしとか、被害者家族の話とか、
加害者家族の話とか、
およそ毎日の生活の中では想像もしないような角度から、
世の中を見ていくことができるわけです。

毎日何気なく歩いている道で、
すれ違う誰かが、
小説に出てくる登場人物と同じような気持ちで、
毎日を過ごしているかもしれない。

そう考えると、
人の痛みにも敏感になるかもしれないし、
自分の日常に対して感謝できるかもしれない。

また、もしかしたら未来で自分がそうなるかもしれないと考えると、
そのための心の準備ができたり、
もはやそういうことが起きないように
物事を進めるかもしれない。



小説によって妄想することもできる


重松清さんの小説には、
あくせく働いているのに家族に愛想をつかされてしまっている中年男性がよく出てくる。

若い時に読んでいると
「こんなの小説の世界の話でしょ」
「ちょっと大げさに書きすぎでは?」
と思っていたりしたものだ。

しかし、自分が中年に片足を突っ込んでみると(いや、この表現ももう素直じゃないかもしれない笑)、
意外と大げさじゃないかも、、、と思えてくる。

もしかしたら自分も何年後かには、
ローンの支払いに苛まれながら、
熱く燃えるものがない市がない中年男性になってしまっているのかも、
とか思えてくる。

世の中のお父さんたちも、
もしかしたらこんな気持ちなのかもしれない、、、とも。

家族のために頑張っているのに、
家族に相手にされない。

家族のために稼いでいるのに、
自分抜きで旅行に行かれてしまう。

家族のために頑張っているからこそ息抜きがしたいのに、
「お父さんはいいわよね」とか言われてしまう。

そんなお父さんが本当に多いかも、、、
と妙に納得してくる。

そうすると、
「自分がそうなったらどうしようか」
「そもそもそうならないようにどうしようか」
とか、すごく考えるようになる。

何が正しくて何が正しくないのかなんて、
誰にもわからないけれど、
なりたい自分の姿と同じように、
なりたくない自分の姿は想像することができる。

未来を想像するきっかけをくれるのも、
また読書のいいところなんでしょう。

空想と想像と妄想をしながら、
また楽しい本を探しに行きましょう。

ここまで読んでいただいてありがとうございます!

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