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【2023年新春コラム】『浅草公園』150年の栄枯盛衰

あけましておめでとうございます。
2023年最初のコラムは、150前に誕生した「公園」の話です。

昨年の新春コラムでも書きましたが、今から150年前、1873年(明治6年)の元日より、西暦と定時法が導入されました。
当時の日本は明治に入り、欧米諸国に並ぶ近代国家を目指して邁進。いわゆる「文明開化」です。

一刻の長さが季節によって異なる不定時法や、月齢で一ヶ月を設定し13月も存在する太陰暦なども、限られた集落の中で自然のサイクルとともに暮らしていたため、そんなに不便を感じることは無かったのですが、鉄道が開通し、郵便制度が発達したことで行動半径が広がり、新たな仕組みが必要になったのです。

そして、自然ではなく人間に照準を合わせた制度の形成を目指すことになり、太陽暦(西暦)や定時法が採用されました。令和の世とは逆のことを言っているような気がしますが、これが「文明開化」というものです(笑)

そんな中、欧米には当たり前のように存在していて、当時の日本に無かったものの一つが「公園」
現在いたるところにある「公園」は、日本では150年前まで存在しなかった制度なのです。

江戸時代に花見や縁日や花火を楽しんだ場所は、社寺境内や広小路や河原など。横浜の山手公園など、居留地に住む外国人の要望でつくられたものや、兼六園などの庭園、景勝地はありましたが、誰もが訪れる憩いの場としての「公園」は存在していませんでした。

それを変えたのが、1873年(明治6年)1月15日に出された、太政官布達第16号「公園設置ニ付地所選択ノ件」
明治政府は、「公園という制度をつくるので良い土地を選んでほしい」という通達を各自治体に出したのです。

当時の東京府知事からは、浅草寺、寛永寺、増上寺、富岡八幡宮、王子権現の境内を中心とした場所が申請されました。

そして迎えた1873年10月19日、日本最初の都市公園がオープン
浅草公園、上野公園、芝公園、深川公園、飛鳥山公園の5つは「東京五公園」と呼ばれ、多くの人で賑わいました。

この5つのうち、上野、芝、深川、飛鳥山の4つは今も健在ですが、残念ながら浅草公園は現存していません。とはいえ、その名残りは現在の「浅草ROX」や「六区ブロードウェイ」に残っています。

当時の都市公園は、上野公園の精養軒や日比谷公園の松本楼などのように、民間の商業施設を配するようになっていました。
その中でも群を抜いて発展したのが、七つに区分けされた浅草公園のうちの一つ、「浅草公園地第六区」だったのです。

浅草公園地第六区、通称「浅草六区」には、見世物小屋や寄席が集まって興行街を形成していたため、浅草寺のある一区や伝法院のある三区とは異なるタイプの、商業的な賑わいを見せていました。

その後、活動写真(映画)常盤座を皮切りに、歌舞伎や大衆演劇などの多くの劇場が開館し、「浅草十二階」の愛称で知られる当時の最高層建築「浅草凌雲閣」も建てられました。「雲を凌ぐ」という命名の凌雲閣には日本初の電動式エレベーターが設置され、その展望台には連日多くの人が登り大賑わい。当時日本一の歓楽街となったのです。

浅草六区を襲った最初の悲劇は、今からちょうど100年前の関東大震災です。

1923年(大正12年)9月1日11時58分に発生した震度7の大地震は、南関東全域に甚大な被害を及ぼしました。
その影響で浅草凌雲閣は8階から上の部分が折れて倒壊。あえなく爆破解体されることとなりました。

浅草十二階を失った浅草ですが、昭和に入ってからも賑わいは衰えず、映画館や演芸場はさらに活況になります。そこへ第二の悲劇、1945年(昭和20年)の「東京大空襲」が襲い、辺りは焼け野原になってしまいます。

戦後、映画館や劇場が開館して再び復興を果たしましたが、高度成長期にテレビが普及し始めると軒並み閉館という事態に。歓楽街の地位も新宿・渋谷・池袋といった副都心に奪われます。

2000年代後半からはインバウンド効果により外国人観光客で賑わいますが、それもコロナ禍でまたもや窮地に。

こうして見ると、150年前に誕生した浅草公園に端を発する「浅草六区」は、今日にいたるまで、正にジェットコースターのような浮き沈みを繰り返し、ドラマチックな歴史を刻んできました。
人が集まる動機さえあれば街は何度でも甦る、ということを証明しているかのようです。
浅草が何度倒れても復活するのは、そうした想いの強い人たちが集まっているからかもしれません。

昨今、入国制限が緩和されたことで、再び外国人観光客の訪日が増加しています。全国旅行支援も延長され、国内旅行も活性化してきたので、この勢いに乗って浅草はまた復活することでしょう。

日本各地には同じように150年前の制度で誕生した公園がたくさんあって、それぞれの歴史やドラマがあるかと思います。それを再発見するのはとても有意義で、人が集まる動機になるのではないでしょうか。

今年も一年、よろしくお願いいたします。



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