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友情よりも尊重がしっくりくる

こんにちは田島です。中学時代の友人達と会ってきました。20年以上前に出会ったメンバーではありますが、細く長く付き合いが続いているのは「おれたち仲間だよなー!」みたいな子どもっぽい思いではなく、その当時からお互いのことを「尊重し合える」関係だったからかな?と気づきました。

空気を読むのは生活する術だった

僕らの学年は担当の先生たちの中でそういう思想の方がいたせいか、学園ドラマみたいな、主張をぶつけ合うような「通称:話し合い」を本当によくやっていて、例えば議題としては合唱祭だ体育祭だ文化祭だで季節ごとに揉めたわけです。

いつも火種を持ち込むのは前述の先生の息のかかった子たちで、メソメソしだすのも怒り出すのも彼女ら彼らで、ほかの生徒はほとほと嫌気がさしていたんじゃないかなあと思うのですが、あれなんだったんだろ。

賢明な生徒たちはそうした場では静かに、また意見を求められれば大きな流れに沿うような発言をしてとにかくその場をクローズさせることに徹しており、正直そこでの個々の発言は空気を読んだうわべであることは、もう誰もが互いに上げ足を取ることもなく理解し合っていたわけです。

教室で空気を読んで、一歩引いたところから物事を見ることが、不思議なことに僕らテニス部の10人は出来ていたような気がします。

誰もがいいところがある

僕らテニス部は地域の学校の中でもめずらしく専用のテニスコートがあり、校舎からは少し離れたところにありました。だからこそ放課後教室を離れてコートで過ごすことが、息抜きのような憩いの場のような気がしていました。

当然ながら同じクラスだったり違うクラスだったりで、もちろん仲はいいけれど教室でのお互いの姿は知っているような知らないような、もしかしたらあまりお互いに興味がなかったのかもしれない。

10人もいれば部活に対して心構えはそれぞれ当然に違っていて、いつかは上位の大会に出たいと思っていた子もいたし、僕みたいにとりあえず楽な運動部に、という子もいたりでレベルにもバラつきがあった。

皆で集まると当時部長をやってくれていた子のマネジメント、というか人柄の話になるんだけど、彼の真面目で皆の意見をまんべんなく聞くという姿勢のおかげかいつでも民主的な雰囲気だった僕らの部は、最後まで10人で活動することが出来た。

この10人という、割り切れる人数でいることは大事だったんですよ。

団体戦のメンバーを決めるために部内でゲームをするなんてことも当然ありましたけど、なぜだか自然にお互いがお互いのプレーを褒めていたような気がするんですよね。

もちろんひとつのゲームをしてみると勝敗はつくんだけど、誰それのどういうプレーはいつも上手いとか、あれはマネできないとか、お互いのプレーの光るところをちゃんと見ていたような気がします。

上手い子も決して他の子を見下すわけではなく、アプローチが違うことを理解して「自分が勝たせる」くらいに思ってくれていたような気もします。対してメンバー外の子でも試合会場に行き一日彼らをフォローして帰ってきてたけど、それを屈辱とも思わなかった。オレたちのエース、くらいに思っていたからね。

あ、もしかしたら顧問の先生が僕らを信用してくれて、介入しなかったのもよかったのかもしれないな、ありがたいことです。

大人になるほどリスペクト

中学を卒業して以降はそれぞれで趣味の会う同士で集まったりしていたし、当然疎遠になった子もいたけれど、26歳のときにひとり結婚することになり、彼がみんなを披露宴に招待してくれた。

もうその時点で中学卒業してから10年経過しているんだけど、そこから今もなお趣味で集まったりお互いの結婚やお子さんの誕生などで連絡を取り合ったりしている。

歳を取ればとるほどいわゆる「スペック」なんてどうでもよく(当時から思ってなかったけど)、例えば飲み会をしたお店の従業員さんに対して礼儀正しいとか、以前よりももっと個々の人間性に対してのリスペクトがあることに気づく。

どんな仕事でも独身でも既婚でも、どんな大学出たも全然気にならないのはどうしてだろうね。やっぱり中学の時、お互いのいいところをよく見ていたんだと思うし、一歩引いたところで状況を見ることが出来る人が偶然にも揃ってしまったんじゃないかなと思う。

同じ学校で同じ部活をしていたけど、みんながそれぞれ違う人間であることは間違いないし、その違う存在をよく見て、尊重していたのは当時の僕らが誇れることじゃないかなと<大生>を飲み交わしながら思いました。

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