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自己紹介⑤商業施設会社員時代

こんにちは。田島です。大学を卒業してから10余年を商業施設運営の会社で過ごしました。良くも悪くもですが、今仕事している自分の「会社員の部分」はこの会社で学ばせてもらったものだろうなと、転職してからは思います。

ただ、良い点については会社から学んだというよりも「関わった社外の方」の良いところを知らず知らずに真似していたのだろうと思います。

10年

僕は同じ施設で約10年の間販売促進を担当しました。入ったばかりの頃はツイッターアカウントを開設するとかその運用をするとか、施設内のPOPを作るとかそういう仕事が多かったように思います。

それから年間のいろいろなイベントの小間使いをしながら、イメージビジュアルのミーティングに入ったり、館内装飾の計画をしたり、セールやポイントアップといったキャンペーンの運営をしたりと30歳になるころには名義上は部門の責任者となっていました。責任者と言っても何の権限もなく、まあそれで助かった部分もあれば、つまらんなと思う部分もありました。

どの店舗も年の近い従業員も多く毎日仲良く過ごしていたなと今思い返しても思います。僕自身がヘラヘラしていたので、物事をあまり真剣に捉えすぎなかったという部分もあると思いますが。

ヘラヘラしていても年次が上がると社内で後輩も増えていき、重要な打ち合わせもあり、著名な方と仕事をしたり、取引先と面談をしたり、よく言えば刺激のある20代を過ごしたかもしれません。

人付き合いが仕事

施設内のテナント従業員や警備さんや清掃さん、運送業者さんと顔見知りになってくると、そういった皆さんに会うのが結構楽しくなってくるんですよね、ただの大学生だった自分が、いろんな「先輩方」に慕ってもらえている感覚になって、嬉しかったですね。

商業施設の人間を、「館(やかた)の人間」と言い方をしますけど、結構勘違いする人も多いようでショップスタッフや周囲の人に横柄に振舞う人もいるようです。

僕はもともと自己肯定力の低い人間なので、この建物にいる中で最も替えがきくのは自分たち「館の人間」だろうと思っていました。

売場に立っているわけでも無ければ、直接的にお客さんの安全や快適を守っているわけでもない、黙って座っていても究極的には「テナントが頑張って売上作ればいい」と強弁してしまえばそれまでの仕事と思っていましたね。

だから、そこを突き抜けて施設を良いものにしていくことに注力されている「中の人」はすごいなと思います。今も後輩たちや同業の先輩たちが各々の施設を支えてますからね、僕はそれを続けられそうになかった。

事実高飛車な人もいると思いますが、僕のようなタイプがほとんどだと思うので、そのギャップで皆さん慕ってくれる。普段からの信頼関係があれば、困ったとき助けてくれる、僕が上から言われた無理難題を相談してもなんとかしようとしてくれる、さすがに10年いればそういう雰囲気でした。

僕が大事にしていたのはシンプルな2つです。
・ニコニコしていること
・人の悪口を言わないこと

僕の20代の社会人人生は、それだけのことでいい感じに回っていたんですね。

レンタル什器の会社で、搬入ドライバーの佐藤さんという男性がいました。顔が劇画調で、不器用な雰囲気がある人でした。

退職してからこの会社に勤めていた営業さんとお会いする機会があったのですが、佐藤さんは長く肺の病気で闘病しており、僕が退職してからしばらくして亡くなったそうです。

佐藤さんは「あいつはいい男だ」と僕のことを褒めてくれていたとその時聞きました。でも僕は月に一度あるかないか、搬入の時にニヤニヤして、お疲れっす、と話すだけだったんですけどね。

お世話になっていた印刷屋さんも亡くなってしまったけど、困ったときはいつも助けてくれて、一緒に飲みに行かせてもらったりもして。

デザイン会社の営業のお兄さんも本当によくしてくれた、急な案件でも電話先にあのお兄さんがいると思うと、申し訳ない気持ちはあるけど受け止めてくれるだろうという安心感があった。

それから看板屋さん、転職してからも一度仕事の相談をさせていただいて、この状況じゃなければ一杯行きましょうとお誘いしたいところだけど。

やっぱり覚えているのはお互いをリスペクトというか尊重できる人なんですよね。もう数えきれないですよ、あのお兄さんもあのお姉さんも、本当にたくさんの人が良くしてくれた。

だから僕は甘いといえばそうですけど、仕事を発注してるとか金払ってるとかこっちが主導権あるとかないとかそういうので仕事相手を量るのは嫌いなんです。

いい人と仕事をしたいし、嫌な人とは仕事をしない。それだけかななんて。

退職


さすがに10年も同じ場所で同じことをしていると飽きますよね。自分以外の人や物が変わっていく中で、飽きと焦りとが心の中にあったりして。

事あるごとに異動の希望をしていたけど全くリアクションが無く、だんだんと「この会社辞めるしかないかもな」と思うようになっていました。

結構気持ち的には厳しかったですよ、異動の希望を出した後輩が動いていったのはかなりつらかった。長年一緒にやってきた上司が先に動いたのもきつかった。新しいメンバーの中で新しい考え方とか方法を僕は「前からいる立場」として聞き役にならなければならなかったので都度説明していくのも面倒だった。

たぶん、もう熱意がなかったので面倒だと感じていたんでしょうね。

異動が叶い会社の新しいプロジェクトに充てられたとき、新しい仕事で心機一転、という気持ちとすでに漏れ伝わっていた業務内容(プロジェクトそれ自体)の興味の無さで、ああ、これは「やらなければいけないけどやりたくない」という気持ちでかなり不安定な状態には陥っていました。

すでに進んでいたものに後から加わったので考え方や方向性がいまひとつ掴めなかったことや、契約等相手方と話をしているところの最終盤にだけ登場してハンコをくださいというだけの役目だったりして、いろんな場面で唐突な存在だった僕は相手と同じ土俵にいないなと感じることが多くありました。

そんな折、プライベートでは娘が生まれたり弟が結婚したりとポジティブなことがたくさんあり、気持ちの浮き沈みが大きくなったことで余計に沈みが堪えたということがありました。

休職して一度は復帰したものの、またすぐに具合は悪くなりこの頃には自分の中で「これは辞めるタイミングだな」と判断して再度半年にわたって休職、結局2020年の初めに退職することになったわけです。

いろんな方に挨拶もしないまま退職してしまったので心残りもあったのですが、よいパフォーマンスが見せられるかと言われるとこれに関しては完全に無理だろうと思っていたので、結果的には仕方ないのかなと思いました。

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