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一方その頃サバンナでは

こんにちは。田島です。Youtubeでいろんな場所のライブカメラを見るのが好きなんですよね。いつかこのカメラに映り込みたいな、と思っているのが「五千尺ホテル」さんが設置している上高地のライブカメラです。

いまあのスーパーはどうなっているんだろう

僕は小学生のころから「僕が教室にいるこの瞬間、いつも週末に買い物に行くあのスーパーはどんな様子なんだろう」とか「さっき玄関を閉めてきたけどいまこの瞬間家の中はどんな風景だろう」とかぼやっと考える癖があったんです。

普段の生活では居合わせることのない場所、いることができない時間とか、自分は目にはしていないけど確実に存在しているものに対して興味があったような気がするんですよね。

「長野のおじいちゃんの家に繋がる坂道には、いまどんな人が歩いているんだろう」とか「さっきニュースで見たレストランでは、いまどんな料理が作られているんだろう」とか物理的に遠い場所のことなんかも考えていたりしました。

普段の自分と、本来そこにはいない自分

大学を卒業して仕事をし始めた当初、僕は平日が休みだったため、小学生のころ考えていた「本来そこにはいない自分」を経験できる機会がたくさんあったんです。まあ、小学生の頃の自分がいられない場所や時間に、大人になってから赴くことができるようになったという意味です。

これは別に大人になったから東京のオフィスに立ち入れるようになれたとか、属性による立入区分みたいなものではなく、世間一般に今は多くの人が働いている時間、とか日常生活では訪れないような場所、といったことを指しています。

「普段の火曜ならまだ家で仕事に行く身支度をしているところだが、今日はなんと那覇空港にいる」とか「同僚はいま打ち合わせ中だろうけどオレは宇都宮で餃子を食っている」とか、普段の自分と異なる状況にいることが、かなり精神衛生上ポジティブに感じるんです、僕の場合は。

以前もnoteで書いたのですが、問題(多くの場合は仕事)から物理的な距離を置くことで自分の精神を保っていた部分があります。もちろん全てのケースで旅行したり逃避したりということは難しいので、冒頭の「想像」で我慢することが多いのです。

サバンナとライブカメラ

何年も前にネットスラングみたいなもので「一方その頃サバンナでは」ってフレーズが流行りませんでした?自分がいま上司に怒られている一方、サバンナではライオンがシマウマを襲っている、それを想像して気持ちを遠くに逸らすみたいなやつ。

僕は怒られたり説教されたりというのが極端に少ない人生なので別にそういう窮地にいるわけではないのですが、気持ちを遠くに逃がしたい考えはあります。思考が詰まっちゃうんですよね、煮詰まりすぎるというか。

だからライブカメラ大好きなんですよ、いま同じこの瞬間あの場所はどうなっているんだろうって瞬時に見ることができる。世界各地のライブカメラを見ると、どうしても日本にいるから先に夜になってしまう(日が変わってしまう)のがなんか惜しいけど。

反対に「なんかあかんなあ」という夜を過ごしているとどこかの国が真っ昼間だったりして、それを見てなんか安心したり、まあ、メンヘラなので私。

でも状態が安定しているときはあんまり思わないんですよ、Youtube開いてもSEIKINくんの動画しか見てない(先日実弟に「SEIKINファンて言ってる人初めて聞いたわ」と言われなぜかそれもそうだなと合点した)

ライブカメラ見たいとき、旅行に行きたいとき、平日に旅行に行きたいときの順で状態が良くないのでこれバロメーターにしてます。

好きなライブカメラ①

好きなライブカメラ②

好きなライブカメラ③


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