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時間を変化率(律)として考えてみた

今更ながらの話になるのだが、この年になるまで、物理学上における時間の概念にピンとこないままでやってきた。
定義や法則を知識として頭に収めることはできても、理解として落とし込めていなかった。

それが、最近になって、天啓のように理解に至った。
(物理学を修めた方には何を今更的な事かも知れないが、個人的にはとても感動したので)それを手短に報告しておこうと思う。

時間を時の流れとして考えるからわからなくなるのであって、個別の事象に対する変化率(律)として捉えると途端に理解できてしまった。

時間の流れの中に事象があるのではなくて、事象が変化して行く様が時間の流れであると考え直した。
それだけなのだ。

この世界には元々時間というものは存在していなくて、ただ単に個別の事象が変化して行く様子を表す単位のひとつとして時間が存在する。そう理解したら、腑に落ちた。

時間が変化率(律)であるならば、この世界に存在する事象の数だけ、時間が存在するのも理解できる。
その上で隣接する事象の変化率(律)は大変に酷似しているので、便宜上、共有することが可能になる。

事象に体積や質量があるならば、重力や速度などが変化率(律)に影響を与える。
事象に体積や質量がない、例えば情報のようなものならば、重力や速度はその変化率(律)に干渉することができない。

この考え方で行くと、物理学上における大体の時間に関する概念を、私の頭の中に理解という形で落とし込めた。

ただ、ひとつだけ。
変化率(律)の考え方を基にすると、時間の遡上ができなくなる。
変化というのは、それ自体が絶対値になる。
正負、上下、どういう形であれ、それは変化である。
変化を止めたり、変化の速度を変えたりはできる。
だが、変化を差し戻すこと(無かったこと)にはできそうにない。
そこだけに矛盾が生じる。

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