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「失敗」にニックネームをつけてみる


私たちがまゆげ犬に出会ったのは、
互いに失敗した日の夜だった。

「またやらかした」

電話口で友人は笑う。明るい声の沈黙が重い。
電話を受けた私も、彼女にシンクロするように重たい気分だった。

仕事で初歩的な失敗をやらかしたばかり。
打ち合わせの空気を冷やした時間がよみがえる。

フリーランス駆け出しの頃、パソコンに向かいさえすれば
仕事が始まり仕事が進むと思っていた。勘違いしていた。
実際は外に出て交流会に打ち合わせ、とにかく数を。場数を。人数を。
何者でもない私を奮い立たせ知らない人と話す日々の反動で、いくつも失敗を重ねていた。

かたや私の友人は、もうこんな思いはしないと誓った過去の恋愛パターンに再びはまり、何度目かの恋愛に失敗していた。

電話を切って、友人とごはんを食べにいくことにした。

失敗したお互いの現状を報告し、しょんぼりした気分を分かち合う時間は悲しくも甘ったるい。

状況を深刻に捉えてあわれむ時間がどこか居心地いいのは、傷を負っている手負いの者になれば、その場所から動かなくていいからだ。

博多駅ちかくの店を出たあとも、別れがたくてバスにも地下鉄に乗らず、大通りを歩き始める。
彼女が暮らすマンションの方角に向かう二人の足取りは、酔うほど飲んでいないのにほてほてと頼りない。

「なんで失敗するんだろ」

車のテールランプに、道路側を歩く彼女の顔が照らされる。
レストランでいちど泣いた彼女の、普段は、さばさばとひるがえるワンピースの裾がゆっくり波打つ。

「なんでだろうねー」

私も今日の失敗を思い出し下唇を噛む。
苦い気持ちがわきあがる。

「エジソンだっけ。
『私は失敗したことがない。
 一万通りのうまくいかない方法を発見しただけだ』って」
彼女が唐突に言った。

エジソン。
伝記でしか知らないエジソンの顔を想像してみる。
イメージのなかのエジソンは、キリッとしたまゆげに、意志的な強い目が光る。あれベートーベンと混じってるぞ、頭もアホになってるわ。

「すごいね。そういう人は失敗しても「失敗」に数えないんだろうな」


「成功」は、何かをしようとして思いどおりになったこと。
「失敗」は、何かをしようとして思いどおりにならなかったこと。

私はぼんやりとそんなことを考えながら歩いている。
ふと、彼女に言ってみた。

「『失敗』に別の名前をつけてみるのってどう」

私の先を歩いていた彼女が、私の思いつきに振り返った。
車道からライトを受けたシルエットの向こうに、彼女のマンションが見えてきた。

「別の名前? 失敗は、失敗は、なんだろう? 稚魚とか」

「ちぎょ?」

「うまくいけば出世魚みたいに違う名前になりそう」

「いいねそれ」

彼女の例えを転がしながら、最近読んだ本を思い出す。

ある偉人が「百のうち九十九は失敗」と言っていた。
さらに別の偉人いわく
「失敗とは転ぶことではなく『しゃがんだままでいること』だ」とも。
痛い痛い。
偉い人の言葉はど直球でど正論。そのとおりです。

失敗にまつわる名言が多いのは、
多くの人が失敗から学んできたからだろう。

失敗に別の名前をつけたり、
失敗を「再定義」する偉人が少なくないのも、
「失敗は味方」だと後世に伝えたいからだろう。

それでもやっぱり失敗は痛い。
友人は恋愛に失敗し、私は仕事で失敗した。

恋を失うのも、仕事を失うのも、痛い痛い。
失敗するたび、自分のなにかがもがれる気がする。


彼女のマンションにはとっくに着いていた。

「散らかっているから部屋にはあげないからね」

と力なく彼女が笑い、いいよと私も小さく笑う。

それでいて去りがたく、マンションのエレベーター前のエントランスで、
二人で途方にくれていた。

玄関先の植え込みのツツジピンクが、彼女のワンピースの色に合うなあ。

しんみりしていたら、それはあらわれた。


マンションのアプローチ沿いに立てられた街灯の下、
茶色いものが軽快にやってくる。

飼い主の手からすり抜けたのかリードを垂らし、
てってってってと駆けてきたそれは、人なつこそうににシッポを振った。

堂々とした赤いぴかぴかの首輪。リードも上等だ。
顔には、粘着力の弱そうな黒テープが「」の形に貼られていた。
 
まゆげ。


 
私たちと目が合った極太まゆげ犬は、つと立ち止まった。

シッポが明るく揺れている。
誰のしわざか知らないが、貼りつけたまゆげとまゆげの間が離れすぎだ。
やめて。
そんな下がったまゆげで見ないで。
深刻になれない。
ツツジの咲く頃にハロウィンもないだろう、飼い主はどこ。

呆然とする私たちの後ろで、エレベーターの扉が静かに開いた。
燃えるゴミ袋を片手にゴミ捨て場に降りてきたらしいマンションの住人が、極太まゆげ犬を視界にとらえてビクッと一瞬飛んだのがわかった。
リラックスした部屋着姿に走ったらしい衝撃が「ばほッ」と噴きだす。

さっきの私たちもあんな表情をしていたのだろう。
緊張が折れて崩れた。
エントランスで体を折り曲げ、声を押しころして笑いつづける私たちを残し、極太まゆげ犬は元きた道をてってってってと戻っていった。
失敗にひたっていた私たちにシッポを振って。

ふるえる声で彼女がつぶやいた。

「あの犬、『 たに 』 みたいな顔してなかった?」

「  谷  ?」


思い浮かべた漢字に犬の顔が重なり笑いがとまらない。
深刻にギュッとちぢこまっていた眉間は広がっていた。

笑うと眉間が開く。


失敗にニックネームをつけるなら、こんな時かも。
彼女はもしかしたら、そう思ったのかもしれない。

「失敗は『まゆげ』かも」
「まゆげ?」
「まゆげが顔にないとサマにならないよね。
 『失敗』ってまゆげかも」


失敗のない人生は、サマにならない。

「サマにならないまゆげもあるよね」

闇に溶けた 谷 の残像をなぞりながら涙目の私が言うと、

「笑えればいいんじゃない」

と返す友人の目じりも光っていた。

笑いがおさまり大きく息をついた私も言ってみる。

「ありがたい教えをもらった気分」
「何て」
「真剣に捉えよ、深刻に捉えるなワンと」
「ワンと」

失敗で深刻にならない特効薬は「笑い」か。
互いの失敗の事実は変わらないが、笑える自分たちがそこにいる。
何も変わらないまま、気持ちが軽くなった。

誰かが、失敗は「成功のモト」と呼んでいた。
失敗は「挑戦した証」と教えてくれた人もいた。
失敗に「まゆげ」と友人がニックネームをつけた。

名言やニックネームが多いくらいだ、
世界のあちこちで求められたのが失敗なのだろう。
『トイ・ストーリー』など映画の名作をいくつも手がける
ピクサーが描く最初の絵コンテはひどいものらしい。

偉人の大発明も、次の出会いも、仕事の知恵も、
失敗がもたらしてくれた。

これからも懲りずに何度も何度も失敗する。
そしたら深刻にならずに、真剣になればいいのか。

「成功のモト」というくらいだ。
なにかを得ようとするたび、失敗も折り込んで進むしかないんだろう。

極太まゆげの残像に台詞をあてがってみる。

『真剣に。深刻じゃないワン』

いつかシワを眉間に刻みそうになったら思い出してみようと思う。


イメージ 【谷】



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