【読前感想文】どうする?どうなる?国語の授業(文芸教育124号)
こんにちは。「新読書社 勝手に広報部!」です。
本を読む前に、タイトルだけ見て感想文を書くのが、このところ恒例になりつつあります。
で、本日の読前感想文の自主課題はコチラ。
目次を開いて、まず目に飛び込んできたタイトルは、この二件。
おやおや、どうした? 国語の授業よ!
学校では今、一体何が起きているの?
その前に、よくわからん横文字をググってみた。
へえ、人間中心か。いいじゃん。
いや、待てよ。
何となく聞こえは良いけれど、この理念を私は理解しているだろうか。
それに、こうした「お上」から降ってきた言葉は、これまでどんな運命を辿ってきただろう。
広く一般市民も巻き込んで議論を深めることなく、「お達し」や「お題目」といった形で伝えられる。理念が共有されることは極めて珍しい。だからこそ、言葉ばかりがひとり歩きをする。
もしこの言葉がひとり歩きをしたらどうなるだろう。
例えば「経済発展と社会課題の解決を両立する」。
ここなんかは、ちょっと引っかかる。
もちろん、両立は決して悪いことではない。
けれど、もし言葉がひとり歩きすることで、この二点に、過度に力点が置かれる恐れがある。
それは「役に立つこと」を強く求めることにはなるまいか。
役に立つこと、もちろんそれは結構なことだ。
けれど、その価値観が過度に推し進められたなら、人々を「役に立つ人」と「役に立たない人」に二分する力が強まる。「勝ち組」と「負け組」の溝は埋めがたくなる。
ひいては偶然の不運に見舞われた人にまで「自己責任」という言葉を投げつける。あたかも自業自得であるかのように。
たとえ今、勝ち組にいようとも「明日には何かの不運があって、自分が負け組の側に行くかもしれない」そんな不安から目を逸らさなければいられなくなる。だから勝ち組の中でもさらなる競争に駆り立てられる。向こう岸に落ちないために、別の誰かを落とそうとまでするかもしれない
こんなスパイラルによって、格差社会はさらに助長される。
それは人権問題にも影響を与えかねないだろう。
人権とは、生きているだけで尊重されるものだ。役に立とうが立つまいが、関係ない。何かの対価として人権や尊厳が付与されるものではない。
学校の授業の中でも、国語という教科は特に、心にも頭にも同時に負荷をかける。
そんな国語の授業において、「役に立つ人/役に立たない人」という価値観を取り入れ、重視し、さらには人権感覚を封印する方向に進むことが案じられるならば、それは決して見過ごせるものではない。
一見して「いいじゃん」と思わせておいて、実は人権感覚を封印する方向に進む恐れがある。そんなところが、目次の「誘惑と危険」につながるのだろうか。
……あ、だいぶ興奮しましたけど、
あくまで上記は、特集記事を読む前に、タイトルだけを頼りに思いめぐらしたことです。
記事はこれから読みます。読後の感想は、また別の機会に。
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