見出し画像

「アジャイル」と「量は質に転化する」 こと

「アジャイル」と「量は質に転化する」は近いことを言っていると思った。

「量は質に転化する」って言っても、ゴミを大量生成しろと言っているわけではなく、「自分が出来る最大の力で素早くやれ」って話だと考えている。分からないならやってみろ、そこから学べ、それを繰り返せってこと。そうすると質が高まるよ。っていう流れがあるんじゃないかなと思っている。

それで、アジャイルは何かって言うと、

  • 話せ

  • 動かせ

  • 動け

って思っている。 
もうちょっとちゃんと説明すると、アジャイルソフトウェア開発宣言 にある

  • 個人との対話

  • 動くソフトウェア

  • 変化への対応

ってやつです。

顧客との協調を、ってやつだけ、かなりSIerの文脈がある気がするので勝手に省いてる。契約されたあとにエンジニア出てきても終わってるし、、。

で、本編に戻ると、
手段として、

  • 短い期間を区切って繰り返す

  • 一緒に働く

  • 主体的に動く

が原則として必要とされている。これは、価値を追うために必要とされている期待されていることだと考えている。自分の解釈では価値のために「学び」を得る必要があり、「学び」を得るために最小限に必要で最大限の効果を生む活動を定義しているのだと思う。

短期間のループで高速に学びを実現することで、本来価値に高速で近づく。途中にある変化に対する学びも柔軟に対応する。ってことなのかなーと思った。

ということで、「アジャイル」と「量は質に転化する」は同じようなことを言っているのでは?とふと思った。

不確実性も変化もないならウォーターフォールが良い

「アジャイル」と「量は質に転化する」は同じようなことを言っているが、説明の軸が違うんじゃないかと思った。

「アジャイル」は「学び」を価値に近づく前提の手段と定義して、「学び」を通して価値に近づくことで、真の価値を実現しようとしている。

「量は質に転化する」は量と質という軸で比較し、量による「学び」と質による「価値」の実現を目指している。言葉には説明されていないが、無駄を割け、学びを最大化する意図が含まれている。やりながら学び、やりながら価値を出すことを期待されている。と感じた。

ふと浮かんだイメージを図にしたもの

生成AIはコンピュータの学びの究極系

最近流行っている生成AIは、量が質に転化した典型的な結果なのでは、と思ったりした。

この記事を書いたキッカケ

この記事を読んで、生産性の量って別に悪くないと思って、でも悪い「量」があるんだなと思って、頭の中をコネコネしてみた。

記事の中にある通り、量の生産性が見えるとミスリードしてしまうよなーとは思うので、量を測るだけでなく、質も気をつける仕組みを入れるとか。
無駄なことをやっていないか?価値あるものを作っているか?を振り返って確認することが大事なので、上に書いた図を見ながら、量以外の観点を確認できると良いんじゃないかな。

一番いいのは質や価値に関しても定量的にして見える化ができるといいんだけどな。良いアイデアがある人は教えて欲しい!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?