嘘ゲージ

 嘘ゲージ。

 それは人が生まれて死ぬまでにつける嘘の回数をゲージにして現したもの。この星に生まれた人間は皆例外なく、この嘘ゲージを右腕に宿している。

 嘘ゲージが減ることは、人類最大の恐怖となっていた。

 人は人との接触を恐れていた。過度な接触はできるだけ避ける生き方が身に染み付いてた。
 しかし、人が生きていくには、お金が必要だった。お金を稼ぐために、人は働かねばならなかった。
 そんな世界では、土日が終わるととてつもない憂鬱が人々を襲い、それが原因で命を絶つ者も現れる程だった。
 そんな憂鬱を耐えて迎える朝八時。一人の男は憂鬱になりながら東から容赦なく降り注ぐ陽の光の元をふらふらと歩いていた。
 



 「あぁ、憂鬱だ。何故人間は嘘なんてつくようにできているのか」

 男は小さく呟いた。こんなこと嘆いても仕方がない。そう思っていながらも、口に出さずにはいられないのだった。特に月曜日は。

 「嘘ゲージを無くすか、嘘を無くすかどっちかにしてくれよ神様」

 体は憂鬱に耐えきれず、猫背になりながらも、もがくようになんとか歩を進める。
 いつもはここまで憂鬱になることはなかった。そう、先週の金曜日が訪れるまでは…。

 この世界では、出世するためには嘘を使うことを良しとしている人間が一定多数いた。そう、そしてまさにそんなタイプの人間が、金曜日に異動で男の部署の部長となったのだった。
 そんな人間が上司になって一番怖いのが嘘の強要だった。もし嫌われでもして、嘘をつかないといけない状況にさせられたら…。考えるだけでも吐きそうになりそうだった。

 男はいの一番に上司に媚びた。貴重な嘘を使って媚びたのだった。異動して早々嘘をつかれた上司はご満悦のようだった。
 おかげでこれから男が嘘を強要される可能性は大きく減った。
 しかし、そんな奴が会社にいると考えただけで、月曜日の憂鬱が何倍にも膨れ上がった。
 
 「やぁ、おはよう。今日も天気がいいね」

 今日は、厄日だったか?男は白昼夢でも見ているかのように、目の前の光景を一瞬信じられなかった。目の前に悪魔がいる。
 ハッと気づいた彼は、一瞬で笑顔を作りこう言った。

 「おはようございます!そうですね、おかげさまでこんなに汗だくで…はは。通勤だけですっかり疲れましたよ」

 とても元気よく、満面の笑みで男は挨拶した。そして、少し急いでいる素振りを見せ、失礼の無いようすぐに上司の元を立ち去った。我ながらなかなかの対応ができた。なんといっても嘘をついてないのが素晴らしかった。
 しかし、これからもずっとこうやって怯え続けなければならないのか。そう考えると、また憂鬱が彼を襲った。




 さっきまで影を殺すように地面を照らし出していた太陽が、いつのまにかビルの合間に見え隠れしていた。

 「もう、こんな時間か…」

 歳をとると時間が経つのは早いのは本当だったんだと実感させられる。あの頃の大人は皆本当のことを言っていたんだなと。

 「さて、帰るとするか」

 俺は立ち上がり、伸びをした。

 「お、先輩帰るんですか。今日は早いですね。もしかして…、女ですか?」

 「はは、まぁそんなとこだ」

 「いいですねー。俺も早く彼女欲しいけど、人間って嘘をつかずに付き合えるもんなんですかね」

 確かに、嘘をつかずに女性と付き合い続けるのはかなりの困難だ。付き合い続けて、いざ結婚したとしても、一緒に住んでいる夫婦を聞いたことはない。おかげで出生率も減っていく一方だった。

 「まぁ気持ちは分かる。でも、本当に好きな人に出会えば、嘘も惜しくなくなるかもよ?はは。じゃあお先です」

 この世界で誰かと付き合うと言うのは本当に大変だった。仕事でも嘘をつかないように気を張っているのに、彼女を作って余計に気を張るなんて狂っていると言う奴もいるくらいだ。
 だけど、俺は彼女と離れたくない。いつまでも彼女といたいと思っていた。そこまで美人でもないが、とても朗らかでいつも無邪気で楽しそうにしているのだ。本当に同じ世界に生きているのか疑問に思うほどに。もし、俺に見せる姿が全て嘘ならとっくの昔に彼女のゲージはゼロになっているだろう。
 



 「お、時間通りだねー」

 「先にきてたんだ。待たせたね」

 「全然、私もさっき来たとこだよ」

 彼女は朗らかな微笑みを私に向け、続けた。

 「ご飯食べに行こっか。今日は前からどうしても行きたかった店に行けるからって、朝からずっとワクワクしてたんだよ。お昼ご飯も抜いたからおかげでお腹ペコペコ…」

 「そうか。じゃあ早く食べに行こう」

 俺は彼女といる時、たまに嘘をつく。だけど、彼女に使う嘘は惜しいとは思わなかった。どれだけ嘘を使ってでも彼女を離したくない、ずっと一緒にいたいと思っていた。
 彼女との時間は、いつもすぐに過ぎた。今日も例外なく、すぐに別れの時間になった。

 「今週は週末も会えそうだよ」

 「お、本当かい。それは嬉しいな。今週も仕事を頑張れそうだよ」

 「ふふ、可愛いね君は。じゃあねー」

 この時間になると、いつも無情に過ぎてゆく時間を恨んだ。ずっとこの時間が続けばいいのに。心の底からそう思っていた。
 見えなくなるまで彼女の背を見続ける。彼女は大きく手を振り歩きながら、夜の帷の向こうへと消えていった。




 次の日。
 週末の楽しみがいくらか憂鬱を吹き飛ばしてくれた。
 待ち遠しい週末を考えながら、朗らかにオフィスの廊下を歩いていると、お世辞にも朗らかとは言い難い顔をした部長がこっちに向かってきた。

 「ちょっと話がある」

 「え?あ、はい」

 そのまま誰もいない部屋へと連れて行かれた。
 額から一滴の脂汗が垂れた。
 話を聞くと、どうやら私の部下が大変なミスをやらかしてしまったらしい。その責任の所在を私に問うてきたわけだ。

 「監督不責任だ。とにかく取引先に行ってこの事態を収拾してくれ。君もこんなことで、窓際に行くのは嫌だろう?」

 「はい…」

 取引先に誠意を見せるのは簡単だった。嘘をつけばいいだけだった。


 「この通り、どうか許していただけないでしょうか」

 「まぁ、ここまでゲージを減らしているわけだし、ねぇ」

 「ええ、私達もそこまで悪魔になれませんよ。では、今回のことは水に流すとして、二度とこんなことが起きないようにしてくださいね」

 「ありがとうございます。本当にありがとうございます」

 腕のゲージを見ると、昨日まであったゲージはもうほとんど無くなっていた。
 

 「先輩、本当に申し訳ございません」

 「あぁ、いいってことよ。部下のミスは上司の責任だ。誰でも一度は大きなミスをして成長するもんだよ。だから気にするんじゃない。ははは…。」

 俺は後輩の肩をポンと叩いた。その時ふと見えた自分の腕の嘘ゲージはゼロになっていた。
 こうして、俺は嘘をつけなくなった。




 
 「こんな自然に嘘がつけなくなるんだな」

 ビルの間に並木道が混在するオフィス街に影が落ちる。怖いほど真っ赤に焼けた空を見ながら私は悟ったように呟いた。私の口からはもうでまかせは出てこなくなってた。嘘と言う言葉の意味は分かっているけど、嘘が全く思い付かないのだ。

 「せめて、プロポーズ用の嘘くらいは残ってほしかったなぁ…」

 私は購入していた指輪を思い浮かべ、鞄の中を横目で見た。本当なら来月、プロポーズするつもりだったが…。




 気がつくと、私は走り出していた。もうこの気持ちに嘘をつけなくなっていたのだ。早く彼女の元に行きたい、彼女とずっと一緒にいたい。そんな気持ちが爆発して抑えきれなくなっていた。
 息を大きく切らし、彼女の扉の前で立ち止まり膝に手をつく。体が悲鳴を上げている。すると目の前の扉が勢いよく開いた。

 「急にどうしたの?ビックリしちゃったよ。あ、週末まで待てなかったんだなー?」

 「はぁ、はぁ…。ん…。はぁ。どうしても今伝えたいことがあるんだ。俺は…!」






 「あなた、ご飯できたわよ」 

 「あぁ、ものすごく胃を刺激してくる匂いが漂ってきたから、そろそろだと思っていたよ」

 嘘を失ったあの日、俺は気がついたら彼女の元へと駆け出していた。
 答えは、わざわざ口にだすまでも無いと思う。

 「ほら、ママが美味しいご飯作ってくれたから、早くダイニングに行くよ」

 「パパ、待って」

 新しい命もすくすく育ってる。嘘のない家庭で育つこの子は、この世界でどう生きていくのだろうか。そんな考えがふと頭をよぎった。

 ドンッ。

 背中に衝撃が走った。後ろを見ると娘が笑顔で背中に乗っかっていた。

 「どうしたんだい?」

 「ねぇパパ…」

 「ん?」

 「私、パパがだーいすき!」









 その時、肩越しに見える小さな右腕のゲージが少し減った。
 

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