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ためらいの言葉遣い

声の小さい人を信用するようにしている
逆にいうと声の大きな人はあまり信用しないようにしている。

ここでいう声の大きさというのは物理的な音量もそうだし、コミュニティの中でリードをとるさまでもある。

声の大きい人は断定を好む。自己に確信と自信があるからか(いや自信のなさの裏返しかもしれない)、断片的な情報からでも全体象を推測して断言する。

しかし、大人になってわかっていくのは、現実には断定できない、どう表現しても本質とは異なってしまう、微妙な状況や感情といったものがあるということ。白か黒かで語れるようなことは本当に少ないということ。

したがって、状況や感情をなるべく誤解なく、正確に、また、他者をむやみに傷つけないように、誠実に発言しようとすれば、どうしたって断定はできないことが多くなる。断定しないわけだから、いきおい声は小さくなる。

断定を避ける結果、声が小さくなる人達は、自分の考えに対して常に一定量の疑いの眼差しを向けている。完全にありとあらゆる状況で正解であることというものは存在しないと知っているから。

その意味で自信がないともいえるし、いちいち他者に自分の考えをアピールしなければならないという切迫感がないという意味では自信があるとも言える。

これは経験上確信があるのだけど、学校のクラスなんかで打ち解けて話すと底抜けに面白い人というのは大抵、無口で静かで目立たない、一見地味な子だ。そして、この人達は大きな声や勢いといったものに流されにくい。スクールカーストなるものがあるとして、その上層部の人達には決していないタイプでもある。流行や状況に流されず、自分の考えをもってことにあたる。勢いやノリなど信用しない。

上層部が流行のギャグや身内ネタで盛り上がっているのをよそに、一人静かに自分にとって面白いことを考えている静かな人。思考の量が前者と後者とでは全く異なるわけだから、後者が独特な世界観を築いている可能性は高い。

ともかく、声の小さな人がもし周りにいたらその人は甘くみないほうがいい。その人が紡ぐためらいの言葉遣いは傾聴する価値がある、私はそう思っている。

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