見出し画像

新村剛史という男について

新村剛史という男を知ってますか?って、誰も知らないですし、他人の悪口を書こうというのではありません。しんちゃん社長の本名が新村剛史(しんむらたけし)なだけです。

ということで、今回はちょっと路線を変えて自分語りをしてみたいと思います。というか、自己紹介記事を書いていなかったから今更に書いてみるというのが実のところです。

今やってる事

株式会社マイカスピリットという会社を立ち上げて、その代表取締役をやっています。と言っても、一人の企業なので、お仕事をしていく上では、個人事業主と違いはさほどありません。

ちなみに、立ち上げた当時には、当時の思いも含めて、こんな記事を書いています。

見出し画像にもある通り、「技術力から商品力への翻訳家」や「技術マーケティング コーチ」と称して、IT業界向けのマーケティング支援を行っています。IT企業さんは高い技術力を持っている企業は多いのですが、その技術力が故に、あまりマーケティングが得意ではない企業さんが多いのも事実です。そう言ったIT企業さん向けに、もっとその企業の良さを知ってもらってビジネスに繋げていただくための支援をしています。

実は、今のマーケティング支援のお仕事をメインにする前は、音楽練習系のアプリの開発と販売をメインインしていました。こちらは、今も細々とやってて、実は現役の開発エンジニアでもあります。

生い立ち

私は1975年に静岡県浜松市で生まれました。舘山寺町という浜名湖の奥にある観光地で生まれ、完全なる田舎育ちとして少年期を過ごしました。

幼稚園の頃から浜松らしくヤマハ音楽教室に通い、エレクトーンを習っていました。それが色々と人生に面白い影響を与えるとは当時は全く思ってませんでした。その影響を含めた音楽の遍歴についてはこちらに記事を書いたので、ぜひ読んでみてください。

中学、高校と部活でバレーボールに打ち込み、中学時代は全国大会にも駒を進めました。と言ってもベンチ要員でしたが、当時のバレーボールはシゴキの代名詞みたいなもので、毎日ヘトヘトになるまで練習してました。
高校時代は部活もやってましたが、部活のメンバーとバンドも始めたりと音楽に付かず離れずの距離感でしたね。

そんなことばかりしていたので、当然ながら現役で大学には入れず、浪人して早稲田大学の商学部に入学しました。当時は父親がゴミ袋やレジ袋を生産する会社を経営していて、後を継ごうという思いで、商学部で経営学を学びました。が、残念ながら父親の会社は倒産してしまい、継ぐことはありませんでしたが、なんの因果か、血は争えないのか、今は自分の会社を経営しています。

キャリア

大学に入る際に、Windows 95のPCを買ってもらい、そこからネットワークの世界に入り浸るようになります。文系学生としては、結構先端的なこともやってて、HTMLの他にJavaScript、Java Applet(覚えてる?)、VB5なんかのプログラミングも独学で勉強していました。ちなみに、大学の卒業論文は「ネットワークによる企業経営の効率化」という論文で、就職してから読み返してみたら、結構良い感じのことが書かれていました。

そんな流れだったので、自然とIT業界を目指すようになり、新卒で日本ユニシスという会社にSEで入社しました。当時はかなりブラックな業界で、色々と苦労しましたが、運良くいろんなロールに挑戦させていただく機会をもらえて、技術を軸にしたマーケティングの道もここで得られました。また、社外のコミュニティにも参加したりするようになり、いろんな見地を得られるようになりました。OSSのSeasar ファウンデーションにマーケターとして参加したり、Visual Studio User Groupというユーザーグループ コミュニティの立ち上げにも関わったりと、業務外の活動も多く関わるようになりました。

そのおかげで、お声がけいただき、Visual Studioと.NETの製品マーケティングとして日本マイクロソフト(当時はまだ日本がついてなかった)に参加しました。日本マイクロソフトでは製品マーケティングマネージャーやエバンジェリストという立場で、技術マーケティングに関して、ひたすら考えながら走り続けるという経験をしました。外資特有のスピード感と製品責任者という責任を両立させた経験は本当にシンドかったと同時に、今の自分を作ってくれた貴重な貴重な体験でした。
日本マイクロソフトという仕組みの中で経験した、数千人が参加するようなイベントのコアメンバーになったり、名だたる企業と本社の間に立って世の中のシステムに問題が出るかもしれないような調整したりというのはそうそうできる体験ではありません。

その後、ワコムというペンタブレットの会社でソフトウェア事業の仕事を少しした後、アトラシアンに技術マーケティングとして参加しました。アトラシアンはオーストラリアに本社を置く会社で、IT業界の人にはJiraやConfluenceの会社、IT業界意外だとTrelloの会社というのがわかりやすいかと思います。私が入社した時は、日本法人は10人程度、全世界でも1000人ちょっとという会社でした。そこで、技術マーケティングを担当しつつ、人数も少ないので、セールスフォーキャストや日本の事業戦略などの策定もやっていました。後半は、マーケティングを同僚が全面的に見てくれたので、完全に事業戦略の方に軸足を移し、カントリーマネージャーの補佐的な仕事をしてきました。

その後、アトラシアンを退職して半年ほどプー太郎生活をした後、一念発起して、マイカスピリットを起業しました。

自分の強み

自分の強みは経歴を見てもらえればわかると思いますが、エンジニアであり、マーケターであり、事業戦略家であることです。日本マイクロソフトにいた頃はさほど珍しいとも思わなかったのですが、開発もできるマーケターって実はそんなにいないんですよね。おかげで、今の仕事でもエンジニアの方の専門的な話を理解しつつ、マーケティングの戦略を作っていけます。IT企業にありがちな、技術ありきのマーケティングメッセージを翻訳するには、このスキルが非常に役立っています。

ということで、今回は自己紹介を書かせていただきました。noteではIT業界を中心としたマーケティングのお話を書かせていただいています。もしよろしければフォローいただけると幸いです。

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?