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第40回 新たな法の枠組みによる精神障害者救済の必要性

1.特例措置の事後処理の難しさ
 国家の非常時に、様々な特例が出されることは珍しいことではない。幾度となく大規模な災害を経験してきた日本の場合、事態収拾のために法を制定し、即応する体制を整えるようなことは過去何度となくあった。しかし、この度のコロナ禍における各種の特例措置は、その規模や内容において群を抜いており、もはや論理の域を超えた現実対応であったといえる。例えば、国民一律に給付金を配布し、フリーランス等には100万円もの持続化給付金を与えるといった施策は、これまで細かな要件を定め、厳格な管理を旨としてきた労働・社会保障政策を知っている者としては、驚嘆に値するものである。もちろん、結果において必要な措置であったといえるであろうし、短期間においてそうした制度の枠組みを整えた行政機関の能力は評価できるものである。しかし、問題は今後の処理にある。上記給付金等は、特別法において急ごしらえされたものであり、事後処理が必要となることはないと思われるが、問題は、従前の制度を拡張して適用する等の対応をした法制度にある。例えば、コロナ特例として適用された診療報酬体系、資産要件等を一部緩和した生活保護の適用、不足分につき税を財源とし、適用要件も緩和して実施された雇用調整助成金など、特例の期間や事後調整など、矛盾なく事態を収束させていくことは容易ではないように思われる。

2.制度適用のフリンジに係る論理
 こうしたことは、細かな実務上の問題に過ぎないと考える向きも多いものと思われるが、実は一時しのぎの特例が、その後の法制度運営において、様々な混乱を生じさせることは少なくない。例えば、東北に大震災が発生した際、業務上の災害であるか否かを確定し得ない事態が多数生じたのであるが、特例的な通達により、業務遂行性が推認されれば、事実上業務起因性を追求しないこととされ、業務災害と認められるケースが増えた。同通達は、いかなる災害においても妥当するのか、東北での大震災のみに適用されるとすれば、それはなぜなのか、といった疑問を生じさせる。また、ある事件を契機として、政治的な圧力のもと、第三者行為災害については自招行為や私怨が認められない限り、業務起因性を求めないとする通達が出されたが、同通達が、業務に内在する危険が顕在化することを要件とする労災保険制度の理念に整合するかは怪しい。
 その場しのぎの特例的な措置は、度々実務の現場を混乱させる。給付を受けたい国民から見ると、なぜ、当該特例の時期ないしは対象とされる事態だけ、保護を受けられるのかについて納得できないといった気持ちになることはあり得よう。いかなる法制度にも、適用・非適用のボーダーがあり、そのフリンジにおいては論理で説明し得ないことが起こり得る。しかし、当該フリンジの論理があまりに希薄であり、また本来的な法目的が達成し得ないものとなっている場合には、制度構造自体を見直すことも必要であると思われる。今回は、こうした問題意識から、精神障害者に対する労災保険の適用問題を考えてみたい。

3.精神障害の業務上判断の微妙さ
 コロナ不況のあおりを受けて、解雇される人が続出しているが、仮に当該解雇が原因となって精神障害を患うことになったとしても、労働災害であると認められる可能性は極めて低い。精神障害の労災認定基準の具体的出来事の中には「退職を強要された」という項目があるが、ストレスの強度が「強」であると認められるためには、「恐怖を抱かせる方法で退職勧奨された」等、その方法においてストレスをもたらすものであることが求められるため、「解雇」という事実だけでは業務上の「災害」とは認められないのである。一方、一昨日の報道で、性同一性障害であることを上司から他の職員にアウティングされたことが心理的負荷となり、神経症を患ったとして労災の申請がなされたとの記事を見た。事実関係について不知であるため、業務上であると認められるか否かは分からないが、可能性は十分にあると考えられる。たまたま遭遇した最近の状況から比較してみた例に過ぎないが、はたして業務上の災害とはいかなるものであるのかを考えるには適例であるような気がする。前者は、コロナという災害が原因であり、解雇することについて事業主に責任はなく、後者については、個人情報の漏洩という過失があるという指摘ができるかもしれないが、労災保険は事業主に過失があるか否かを要件とはしておらず、同指摘は結果に係る十分な説明とはなりにくい。もちろん、事業主には各種の安全配慮義務が課されており、その懈怠がなければ業務災害は発生しないか、もしくは極めて少数に留まることになろうから、事業主の配慮懈怠や過失は、業務上外の判断において加味されているとはいえる。とはいえ、突然に解雇されたケースと情報漏洩されたケースのいずれの心理的負荷が大きいかは微妙であるように思われる。

4.精神障害を労災問題として扱うことの理不尽さ
 数多くの精神障害及び自殺事件から、業務上であるか否かの判断が、いかにむなしいものであるかを感じてきた。基本的には、事実関係を精査し、認定基準に照らし合わせて評価するという作業になるのだが、評価対象となる事実を「強」と判断し得るか否かは微妙な例が少なくなく、実際には、事実の捉え方ないしは認定基準の文言解釈によりいずれかに押し込むといったことになる。精神障害の認定基準自体は、かなり合理的なものであり、これを刷新したところでより良い判断ができるとは思えない。本質的な問題は、精神障害の発症という個別性の強い事態において、業務上であるか否かを一刀両断式に判断することが可能もしくは適切であるのかという点にある。この点、脳・心臓疾患や職業病などでも同じであり、法は、フリンジに線を引くものであると割り切るべきなのかもしれないが、個人的には、精神障害は別物であり、そもそも労災保険制度において対応すべきものではないと感じている。理由は以下の点にある。
 第1に、①精神障害の労災認定は、発病の有無や症状に係る判断において客観性を担保することが難しい、②客観的な証拠調べには限界があり、正確な事実関係の把握が困難である、③認定基準の適用においては主観が入りやすく、全国一律に公正な判断を導くことは困難であるなどの理由から、同じく判断が難しい過労死(脳・心臓疾患)と比較しても、格段にばらつきが生じるように思われることである。
 第2に、ある調査によると、業務に起因する精神障害であるとして労災保険の適用を受けた被災労働者が、1度でも職場に復帰したという例は14%程度に過ぎず、一般的な精神障害は発病後90%が1年以内に寛解するという統計と比較すると、圧倒的な乖離があるとされていることである。10年以上も休業補償給付を得て、職場復帰をしていない例も相当な比率に及んでおり、一旦労災保険給付を得て生活すると、労働に復帰することが難しくなると推認されるのである。
 第3に、業務に起因する精神障害であると認定を受ける労働者の数は、年間500件ぐらいで推移しており、ほとんどの精神障害発病者は業務上の災害であると認められないか、もしくはそもそも労災申請などをしていない。この点、真に発病をすると、他者の支援がない限り、申請手続きなどができる状態ではなくなるとの意見もあり、実際には業務上の事由による発病であっても、申請まで至っていない例が相当数に及ぶのではないかと考えられる。

5.業務上外に関わらず精神障害者を救済する法政策の必要性
 労災保険制度は、被災労働者やその遺家族の生活支援と共に、事故を防止するという機能があり、精神障害の事案においても、そうした機能が期待されることは疑いない。働かせすぎや嫌がらせ体質など、本メルマガで書いてきたような体質のある職場は未だ一定数存在することから、職場の環境改善の視点からも精神障害に対する労災保険の適用は推奨されるという意見があり得よう。しかし、上記のとおり、精神障害という疾患を労災保険制度の枠組みで捉えることは様々な点において無理があり、結果として、多くの精神障害者が放置される事態となっている。もちろん、日本には医療保険制度や各種障害者福祉サービスが存在しており、労災保険の適用から漏れた患者は、そうした制度で救われるとの建前はある。しかし、ご承知のとおり、それらの制度は職場復帰を目指す具体的なプログラムを備えてはおらず、傷病の治癒を目指すものに過ぎない。労働に従事していた精神障害者の多くについて、その発病の原因において、労働が全く寄与していないということはむしろ稀なケースではないかと思われる。労働が原因であるか、私傷病であるかというフリンジのケースは極めて多いと考えれば、精神障害については、労災とは切り離して、生活保障と専門家による治療及び職場復帰プログラムを核とした新たな制度を構築して対応すべきではないかと考える。なお、事業主の責任については、民事損害賠償訴訟を起こすことが可能であり、さらに、自殺のケースについては、結果として身体損傷に至ったという理由で、労災補償の対象に残すという道もあろう。

 *有料配信は、今回で終了させていただきます。今後は、非定期とはなりますが、より一般的な内容において、自由に発信させていただく所存です。長い間、お付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。

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