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いわゆるセクハラについて考えてみた話

今日、教習所の教官に頭を撫でられた。はっきり言って、不快だった……。

(昨日は疲れて寝てしまい更新できませんでした。昨日更新予定だったnoteを今日公開します。)

昨日私は教習所の教官に頭を撫でられた。撫でられたと言っても後頭部を触られたと言う表現が正しいかもしれない。「ちゃんと覚えなきゃあかんで」と後頭部を4秒くらい触られた。しかも2回も。ただ表現はどうでもいい。私はとにかく嫌だったのだ。無理だった。それが事実だ。


私は思い返してみれば人生でセクハラというものをそれほどされたことは無い。田舎だから満員電車はなかったし、学生だから嫌な上司からのセクハラ発言などもなかった。バイトは塾だったので、上司は生徒やバイト含め、セクハラをするなど以ての外だった。部活は、飲み会はほぼないガチ部活だったので、飲み会の席で先輩からのセクハラ…などもなかった。

だからセクハラ被害に関する話題やツイート、テレビを見た時「すぐ誰かに言えばいいのに」とか「私ならこうするな」とか「セクハラする人、〇ねばいいのにな」とかしか思ったことしかなかったし、どこか他人事だったように思える。

私は頭を撫でられた時、その時はただ無心で教習所で習ったことを思い出しつつ、「触らないで欲しいな」となんとなく頭の片隅で思っていた。

そして教習所の帰り道、冷静になった私はハッキリと「あぁ、嫌だったな。不快だったな」と顔をしかめた。そして次の技能教習に行くことがめちゃくちゃ憂鬱になっている自分がいることに気づいた。

ただこれをセクハラと言えるかは微妙である。おじいちゃん教官だし、言ってしまえばただ頭を2回撫でられただけだ。世の中のセクハラというものは話を聞いてる限りもっと酷いものである。それに比べて私がされた行為は、話だけ聞けば「小さい子によしよしするような行為」とも捉えられる可能性の方が高い。なんならこのnote読者もそう思っているのではないか。


note読者には勘違いして欲しくないので言うが、あれは別に「小さい子にいい子いい子するようなじゃれあうような行為」ではなかったことを強調しておきたい。

そもそも私は21歳で、世間的には女子大生だ。普通に教習所に来る平均年齢では上の方である。なぜ女子大生を撫でる必要があるのか。私にはさっぱり分からない。父親にもこの年齢ではさすがに撫でられてないし、母親でさえ撫でられることは全くない。

それに触り方もなんというか「おじさんが女子大生に触る触り方」のようだった。決して「相手は21歳なのはわかってるけど自分から見れば子供同然。子供とじゃれあうような気持ちでよしよししました」というような雰囲気でもなかったし、触り方でもなかった。…正直……あんまりこういうことは言いたくないが…………気持ち悪かった。


まあ強調したのでnote読者にはある程度わかって貰えたと思う。しかし、せっかくわかってもらった所悪いが、不快だったからといってどうするつもりも何もない。

だって、教習所に「不快だから変えて欲しい」などと申し立てれば、非常にめんどくさい事になることは間違いない。こんなことで今まで平穏だった教習所生活に、誰かに形式的に謝られたり、ギスギスしたり、「こいつ自意識過剰かよ」と思われる機会は増やしたくない。あと1.2回教習をすれば卒検だし、卒業したらもう二度と行くことは無いんだから、平和に私は終わりたいのだ。

それに申し立てたことが本人に伝わっても非常にめんどくさい。別に教習初回から触られたり、ベタベタされた訳でもないのだ。ただ1.2回不快なことをされただけである。1.2回の出来事をおおごとに私はしたくない。

以上により私は、教習所のスタッフ、教習所の友達にこのことは言えないし言うつもりも全くないのである。ただ次回の技能教習が憂鬱で、撫でられないことを願うしかないのだ。

多分、男の人や1部の女性は私が不快に思ったことに対して「自意識過剰だ」「そんなことで不快に思うなんておかしい」「そんな大袈裟な」と言うだろう。

だが考えてみて欲しい。例えばあなたが男性なら、助手席に座っている男の教官に頭を2回も撫でられたらどう思うだろうか???しかもその行為は「小さい子によしよしするような自然な行為」ではなくて、「なんとなく下心が感じられるような行為」だったとする。気持ち悪いと思わないだろうか??次回も同じ教官なら憂鬱に思わないだろうか???私は思ったのである。

親に今回不快に思ったことを言おうか迷ったが「気持ち悪い」と言われそうだからやめた。親は決して私のことを「自意識過剰だ」と言わないと思う。だが、だからといって私が嫌だと思ったことを「気持ち悪い」とさらに肯定されるのも嫌だった。だって次回があるんだもん。次回の教習所が余計に憂鬱になる。

──なんというか、複雑だなと思った。世の中には私より不快なことをされた人は沢山いるし、なんなら性犯罪の被害にあった人もいる。きっとそういう人は私よりももっと、心は不快でいっぱいだし、トラウマにもなっているだろうし、心は間違いなく私よりも複雑になっていると思う。だが私のような小さい出来事でさえ、文句を言う勇気も身近な人に言う勇気もなく、肯定されるのもなんとなく嫌で、我慢した方が楽で、でも不快で次の回が憂鬱だという思いをしているのである。世の中のセクハラ被害者や性犯罪被害者は私の何百倍も苦しいし複雑だろう。

こんなことでこう思うのもおかしいかもしれないが、世の中のセクハラ被害や性犯罪被害を減らす努力をすること、言いやすい環境を整えることは絶対にやらなくてはいけないことだし、めちゃくちゃ大切なことなんだなと改めて感じた。



今世の中ではどこからどこまでがセクハラか。という話題が出ている。実際に私のバイト先に上司もそれで悩んでいた。

話は少し変わるが、実は私は、他人の年上の男性に頭を撫でられたことは初めてではない。昔習っていた習い事で1度だけコーチに頭を撫でられたことがある。

それはセクハラというのだろうか──。

当時、そのコーチからの頭を撫でられたことは全く不快とは感じなかったし、セクハラだなんて微塵も思わなかった。むしろ認められたようでめちゃくちゃ嬉しかったのである。親に自慢もしたし、次の習い事がもっと楽しみになった。教習所とえらい違いである。

当時は何も考えなかったが、今回、頭を撫でられた私は教習所から帰って「どうして昔頭を撫でられたこととは何も感じなかったのに、今回頭を撫でられたことはセクハラじゃん、気持ち悪い不快だと感じたんだろう。どうしてこうも全く違うんだろう」と考えた。

一応言うが、嬉しいのはコーチがイケメンだったからとかそんな理由では無い。コーチはおじいちゃんコーチだし、なんなら教官と同じような年齢である。特にイケケおじ(※イケメンでダンディーなおじさんの略)という訳でもなく、ただの普通のおじいちゃんだった。

年齢に関しても、私が小学生だったから……とか言うわけでもなく、普通に女子高生時代の話だ。

頭を撫でられた時間は両方とも、習い事中であったり教習中である。プライベートな時間ではない。その3点に関しては、今回の状況とほぼ同じである。

なのに何故教習所は嫌だと感じたのだろうか。私は習い事と教習所の違いを考えた時、「信頼関係の違いと行為の自然さの違い」の2点ではないかという結論に達した。

まずは信頼関係。私の習い事は小学生からお世話になっており、コーチとはあの時点で6~7年の付き合いだった。信頼関係が全然違うのである。6~7年の付き合いから分かったことは、コーチの言葉には重みがあるということだ。お世辞は言わないし、そこまで褒めることは無い。アドバイスは的確で、今まで何人ものすごい選手を育てている。そんなコーチに「上手くなったな」と褒められ、頭を撫でられた時、セクハラなど思うだろうか。いや思う人はいるかもしれないが私は思わなかった。初めて言われたその言葉にただただ嬉しくて、認められたような気がしてめちゃくちゃ誇らしかった。

一方で教官との信頼関係は……まあ教官と生徒という信頼しかない。もちろん、教官としてはめちゃくちゃ信頼してる。私が運転を間違えたり、危なっかしい運転をしたらブレーキをかけ、ハンドル補助をしてくれるはずだという自信もあるし、運転面の教えることは全て気をつけようと努力している。……ただ、言ってしまえばそれだけである。別にただ10時間程度一緒にいた人にそこまでの信頼はないし、その教官の人となりなどは全く知らない。運転中に話をすることはあるが、正直9割運転技術の話だし、残り1割に信頼を求められても困る。そんな人に「覚えなきゃあかんでぇ」と頭を撫でられても「?? ……なんだこいつ?」としかならないし、普通に覚えることと頭を撫でられることの関係性が全くわからなかった。頭を撫でるなんかよりも、私的には覚えるためにもう2回ほど繰り返し説明して欲しかった。


次に行為の自然さである。習い事のコーチは、頭を撫でられたのは1秒ほどでポンポンという感じだった。そして2回目もなかったし、それ以降撫でることは全く無かった。さらに習い事のコーチの行為はサラリとしていてとても自然だった。今考えても別に下心とか、なんでこのタイミングで撫でた?などの不自然さは全く感じず、ただ純粋に「すごいね」という気持ちのみで撫でたんだなと素直に感じた。

一方、教官はめちゃくちゃ不自然さが満載だった。先程も言ったが、「覚えなきゃあかんでぇ」と言うことと、撫でることの相関性が全く見あたらない。しかも撫でるのも4秒ほどとすごく長かったし、さらにそれを2回も撫でられたのである。意味がわからない。下心、とまでは言わないが、なんというか純粋な気持ちで、自然な成り行きでボディタッチ(頭を触る行為)をしたわけではないだろうな…ということがひしひしと感じた。

別に、「信頼関係があって自然であればセクハラでもなんでもしていいよっ☆」と言いたい訳では無い。だが、考えてみただけでこれだけ違いがあったのである。世の中のセクハラとの境界線が、なんとなくだがわかったような気がした。まあセクハラと訴える気は今のところサラサラないんだけど。

まああれこれセクハラの境界線について考えたが、正直参考にしないで欲しい。本音を言うならば、世の中の(会社の上司にあたる立場の人や先生などの)男性は女性にボディタッチを絶対するべきでは無いと思う。もちろん(会社で上司に当たる立場や先生である)女性から男性にする場合も同様である(まあ男性はわりとやめて欲しくない人が多い気がするが)。

バイト先のマニュアルでも「生徒にボディタッチはするな」とデカデカと書いてあった。いまはそんな時代なのである。発言も行動も気をつけるべきなのだ。

まあボディタッチうんぬんは置いておいて……。


セクハラについて考えてみた話である。

椎名ゆず。

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