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【恐い話】虫食い

何年か前に合コンで知り合ったAさんから聞いた話。

話のネタが尽きていくうちに、なぜか皆で怖い話をするノリになった。

小さいおっさんを見たことがある、というベタな彼女の発言に「天然狙いか?」と少し冷めた覚えがある。

しかし、それは僕が知っている小さいおっさんの何倍も薄気味悪く、不可思議なものだった。


彼女が小学5年生だったとき。

もうすぐ夕方になる時間、一人で通学路を歩いていたそう。

大きな国道から、一つ通りに入っただけで静寂が支配する住宅街になる。交通量も格段に減る。

何の変哲もない、いつもと同じ帰り道。

のはずだった。

視界の端、道に面する営業前のバーの駐車場に、のそのそと動く影が見て取れた。

野良猫かな。
それにしてはあまりにスピードが遅く感じられた。

じっと観察してみると、それは人間の形をしていることが分かった。
頭頂部は髪が失われているが、後頭部から襟足にかけてごわごわの白髪を蓄えている。薄い紺色の作務衣を羽織り、雪駄のようなつっかけでのっしのっしと歩みを止めないその姿は、まるで昔話にでも出てきそうな老年の男性だった。

ただし、あまりにも小さかった。
Aさん曰く、自分の膝上くらいにようやく頭が来るほど、だったそうだ。
当時の彼女の寸法がいくら甘くても50cmを超えないであろうその体格は、老人を物の怪の類と断定するに足りていた。

これ、小さいおっさんかも。

そう思った彼女は追いかけることにしたそうだ。
時刻も夕暮れ前、いくら怪しげな存在と云えどただ小さいだけ。
好奇心を押し殺すには材料が少なすぎた。

そうして、小さい老人の後ろをついて行くAさん。

意外なことに、老人の足は思うよりも軽快だった。
早足を心掛けないと、距離が離されそうになる。

見た目より、歩くの早いなあ。
あんなに小さい歩幅なのに、ぐんぐん進んでる。

しばらく追い続けると、先を行く老人は小路を右に進んでいった。

まさか、これってあたしが曲がったらもういなくなってるってパターン。

慌ててAさんも右へと続く。
しかし、そんなことはなかった。

相も変わらぬ速度で歩む老人を視界に入れ、少し安心する。
しかし、Aさんはかすかに違和感を覚えた。

少し、大きくなってるかも。

初めて見つけたときより一回りか二回り、大きくなったように見えたという。

きっと、距離感のせいか見間違いだろう。
そう自分に言い聞かせて尚も老人を追い続ける。

まだまだ暗くなるには時間がある。どこまで行くか確かめて、明日学校で皆に話そう。
不思議な体験に心をときめかせ、Aさんは夢中で後を追う。

またも老人は道を変えた。今度は左へと曲がっていった。

どうか、どうか消えていませんように。

せっかく見つけた非現実な存在が霧散していないように祈りながら、Aさんも左へ進む。

天に感謝すべきなのか、またしても老人は消えていなかった。

小さい老人が道を曲がるたびにハラハラする。
すごい、こんなスリリングな体験、なかなかできないよ。

勝手知ったる近所の通りが、こんなに大冒険になるなんて。
自分でも驚くほどに興奮していた。

老人が左に曲がるにあたって目を離した隙に、またもや一回り大きくなっているように見えたのは薄々気付いてはいたが、湧き上がる感情がそれを無視させていた。

老人はずんずん進む。
尚も衰えぬ速度で、Aさんとつかず離れずの距離を保っているようだった。

そして大きさも、無視できないほどにあからさまに変化していた。

老人は、いつの間にかAさんと同じ程度の背丈になっていたそうだ。

あれ…もう普通のおっさんの大きさじゃん。

そう思っても老人を追いかける足は止まらない。
いや、止められないと言ったほうが正しかったと、Aさんは言った。

頭の中を二つの思考がとめどなく争っていたらしい。

絶対おかしい、段々大きくなるなんて聞いたことない、もう帰ろう。
と思う傍ら、
何が何でも追いかけたい。どこまでも追って、正体を突き止めたい。
と自分の中で整理が追いつかないでいたという。

段々と、自分が足を動かしているのか、それとも見えない力に動かされているのかさえ分からなくなってきたそうだ。

追いかけたい、もうやめたい。
もう帰りたい、まだ見ていたい。

交雑する思考の最中、ふとあることに気がついた。

道端の草木が、塀が、石ころまでもが大きくなっている。
いや、それらが大きくなっているのではない。

Aさん自身が、老人と同じ大きさまで縮んていたのだ。

それに気付いた頃にはもう、先程までの興奮や冒険心は消えていた。
自身に降りかかる怪異を処理することができず、ただただ恐怖に染まっていた。

思考は一つに収束していた。
何でも良いから早く帰りたい。

ところが、足が止まらない。
明らかに自分の意志とは異なる動きで老人を追いかけることをやめないのだ。

なんで。どうして。どうしたら止まれるの。
さながら蟻地獄に捕まったかのように、Aさんはどうあがいても老人の背中を追う呪縛から解放されなかった。

そんなAさんの事などお構いなしに、老人は振り返ることもせずひたすら進んでいく。
Aさんは老人と自分が見えない糸で繋がれていて、さも引っ張られているかのようだったと表現する。身体の大きさは関係なしに、付かず離れず。小さくなった分だけ歩幅は縮むはずなのに、付かず離れず。

やがて老人は左折してとある場所へと侵入していった。

それはAさんもよく知っている、近所の神社だった。
このときばかりは、あたしが左に曲がったら、どうか消えていて欲しいと、心から願ったそう。

しかし案の定、老人はいた。二度あることは三度あった。

境内の草むらをかき分け、どんどん藪の方へと突き進んでいく。付随する形でAさんも草むらへと連れ込まれる。そのときの彼女にとって、それは草むらというよりかは巨大な密林のようだったという。

やがて現れた一本の木の前にてようやく、老人の足は止まった。まるで何千年も生きているかのような、とても立派な巨大樹のように見えたとAさんは言った。

同じくAさんの足も止まった。
しかし、その場からは動くことができなかった。
振り向いて、境内を出て、帰路に着く。
頭ではイメージ出来るのに、身体は言うことを聞かない。まるで金縛りに合ったかのように、老人から目を背ける事さえ出来なかった。

やがて、老人は木の根元にある何かを抱きかかえたように見えた。

それは、相対して異常な大きさに見える蛾だった。

薄肌色をして、斜辺が長い直角三角形のような羽を持った、どこにでもいそうなありふれた蛾。

老人はその頭を触角ごと、

もさり、

と齧り付いた。

さらに鱗粉を纏った羽をもぎり取り、

ばふ、ざふ、

と食べ進んでいく。

立て続けに起こる極めて異質な出来事から目を離すことができず、Aさんはそこで気を失ったそうだ。


目を覚ますとバーの駐車場だったという。

あれは現実だったんですかね。
夢や幻の類でだったとしても、未だに蛾がものすごく苦手で、とつぶやくAさんの顔が強張っていたのが、とても印象的だった。



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