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【神道】 神社の成立はいつか

 神社は、日本の歴史と密接に結びついています。時代が変化するように、現在の私たちが認識する「神社」の多くは、原初の姿ではありません。では、「現代の神社」はいつ成立したのでしょうか。神社といえども、伊勢神宮から田んぼの神社まで、バリエーションがありますので、今回は都市部の「地域の神社」の成立について投稿します。

 神社の単語を分解、訓読みすると「神の社(やしろ)」となります。社とは「屋代」であり、代(しろ)とは、ある区域を意味します。糊代や伸び代という単語は現在でも使われており、糊をつける場所、成長する範囲ということですね。つまり、神社とは「神様の屋を建てる区域」を意味し、社殿のみを指す単語ではないのです。

 古代の日本人は、神様を屋外でお祀りしていました。西暦756年に作成された『東大寺山堺四至図(奈良女子大学所蔵)』には、春日大社の場所に「神地」と記載されており、社殿は描かれていません。当時は、祭祀の度に仮屋を建てていたと推測されています。

 常設の社殿を設けるようになった背景は、仏教寺院の影響があると考えられます。仏教は6世紀半ばに伝来してから徐々に浸透して行きます。上記の『東大寺山堺四至図』は8世紀ですから、常設化の過渡期だったのでしょう。律令時代には荘園が増えていき、その開墾された土地に神社も創建されました。そして、平安時代には常設の社殿が一般化していたと考えられます。
 こうして社殿が整えられたのちは、時の幕府により保全されもしましたが、戦国時代に焼失による移転や再建もありました。そして、江戸時代にはおおよそ安定したと思われますが、国学の勃興により、見直しが図られた神社もありました。

 では、江戸時代の神社の姿が、現在の姿なのでしょうか。実は近代と現代こそ神社の環境が大きく変わった時代です。特に、明治39年の「神社合祀令」は大きな転機となりました。
 明治政府は、村の神社を一社へと統廃合する勅令を下します。これにより3年間で約4万6千社が廃絶し、約19万社から約14万社へ減少しました。ただ、この減り方は全国一律ではなく、合祀令は知事に裁量が与えられていたので、県ごとのバラツキが大きかったようです。
 また、大戦での空襲や戦後復興の都市整備なども大きな変更要因です。これにより移転や境内の整備も行われました。余談ですが、都心の神社では鉄筋コンクリート製の御社殿を見かけます。空襲での消失の経験に加え、防火の観点からも鉄筋コンクリートが好ましかったようです。
 こうして、神社の統廃合、都市開発などが落ち着き、現在の神社の姿が成立します。

 どこで切り取るかによって、歴史の見え方は変わります。今回は、現代の地域の神社の成立は、いつがターニングポイントだったかを考えてみました。
 現在の神社は約9万社と言われていますので、100年前は2倍の神社があった計算です。また、明治初期の総人口は約3500万人なので、人口は三分の一です。
 現代とは人口と神社数の比率が大きく違っており、それにより神社との関わり方も大きく異なっていたことが想像できます。このような点から見れば、現代の神社の成立は明治末期が起点である。と言えそうです。

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店主略歴

 広告代理店とデザイン会社の勤務を通じて日本文化に関心を持つ。國學院大學へ入学、宗教学(古代神道、宗教考古学)を専攻。神社本庁の神職資格(明階)を取得し、卒業後に都内神社にて神職の実務経験を積む。現在は家業の薬店を経営。登録販売者資格保有。

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