【神道】 神様とは(3) 権現信仰
この投稿は続きです。よろしければ先に下記の投稿をお読みください。
・神様とは(1)
・神様とは(2)
近代では、民衆の後押しによって偉人が神様として祀られました。その骨格を支えたのが権現(ごんげん)信仰です。この権現信仰を、近世(江戸時代)に照準を合わせてお話しします。
人の姿で現れる神様
現代では「権(けん)」という文字は、権利、権力、権限など、他者を従わせる力の印象があります。しかしこの字を「権(ごん)」と読む場合は、仮や副という意味になります。つまり、権現とは「仮に現れる」という意味になります。なお、神職の肩書には「権宮司(ごんぐうじ)」や「権禰宜(ごんねぎ)」というものがありますが、これは副の立場(サポート役)を表しています。
この「権現」という理論は、仏教理論の本地垂迹説を基礎にしています。
権現信仰は、民衆を救うために仏や菩薩が仮の姿で現れるという理論です。つまり、常人離れした人物は超常の存在であり、神様が仮に人の姿で現れたのだと理解されていたのです。
権現号をもつ代表的な神様が徳川家康公であり、神号は「東照大権現」です。天下人として江戸幕府を開き、太平の世を築いた家康公は偉人と讃えられるに相応しい人物です。しかし、近代の神様たちと大きく異なる点があります。
ここで注目する点は「御遺言により」という点です。近代の偉人たちは他者(民衆)の求めで神様として祀られました。対して、家康公は自らの意思で神様となったのです。
現代の私たちが持つ「凄い存在は全部が神」という認識は他者へ向けられるものです。たとえ自分が凄い存在だと思っていても「俺は神」と自称することは一般的ではなく、半ば冗談の物言いでしょう。では、家康公は自分を神と同等だと自惚れていたのでしょうか。
それは違います。家康公が神として祀られたいと願う背景は、死後も子孫や江戸幕府を護るという意思表明なのです。そしてその背景には、人は死後も現世に関与できるという共通認識があったのです。
次回は、死後も関与する人物と神様について投稿します。
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