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宗教2世って ⑤

心の拠り所 2

彼等にとって選挙戦(創価学会では、法戦と言います。)で、Fの獲得は、仏法対話につながり、理解者を拡げる事に繋がると信じているので、必死でもあり、喜びを持って邁進する事が出来るのです。
応援する候補者の当選を願い唱題をあげる事で、功徳を得て、創価学会の理解者を増やす若しくは、折伏に繋げていく。

なので、公明党も綿密な票読みをして、何とか勝てる選挙区と候補者を選定する訳ですが、やたらめったら候補者を立てて、落選者を続出させるような事をすると、創価学会員の士気に関わってくるからだと思います。

なんとか皆さんの祈りと行動のおかげで、勝利を得る事が出来た。という勝ち方が大事なのです。
先般の練馬区議選挙では、落選者が続出したのは、完全に票読みを間違えた事もありますが、他党の思いがけない躍進から弾かれた感じでしょうか。

男子部時代、法戦をずっと内部の人間なのにどこか冷めた目で俯瞰していた私は、彼らの熱気が恐ろしく感じる事もありました。
彼らの熱意はどこから来るんだろう。
彼らとの違和感は何なんだろう。
何故、違和感を感じるのにこの場にいるんだろう。

その熱意をニコニコと笑顔で鼓舞する紺色のスーツ姿の幹部達は何を思っているんだろう。
幹部達は言います。
「今回頑張って対話したけど、Fには繋がらなかった。だけど、これは意味のある事なんです。
しっかり下種できてるよ。大聖人の仏法は下種仏法なんだよ。」
(下種とは種を蒔く、仏法の種を蒔いて、いずれは芽が出て実って
いくといった意味)
実社会では、ノルマや予算を付けられて、達成できなければ、叱責やペナルティがあるけど、学会では怒られる事はないし、むしろ励ましてくれる。
かつて、私の父の時代はかなり厳しい指導もあったと聞いてますが、今は、地域差はあるかもしれませんが、当時と比べると非常にソフトだと思います。

居心地が良いんです。

幹部でなければ、末端会員にとって創価学会は居心地が良いんです。

そうでした、学会2世の私は知っていました。
幼い頃からずっと見てました。
実社会では、人見知りな人、陰キャな人、どこか浮いている人、なかなか仕事の続かない人、無職の人、生活苦の人、社会的に底辺の人…

かつて創価学会は貧乏人と病人と揶揄される事が昔あったと言われます。
彼らを居心地よくさせる一つの伝統的なテクニックなのかとすら思えます。




※創価学会を批判、中傷するつもりは全くなく私の人生を振り返った時に「宗教2世」というワードに対しての私なりの純粋な思いを綴っております。





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