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オールドファッション その4

「ついに現れたんすよ〜」

ほぼ海外のようなニセコで働く彼が言った。

外国人旅行者の6割位はキャッシュレス決済だそうだ。

いつも通りの一日、いつものように決済端末にタッチを促すと手の甲を押し付けてきたらしく、なんだこの人…と怪訝に思ったがどういうわけか決済が完了している…

そうです。アプリ決済はおろかカード決済すら行っていない、シマグニの場末の喫茶店主にとってはSFの世界の住人、チップ埋め込み人間が遂に現れたそうです。

ちなみに、チップ内蔵指輪の人はそこそこ見かけるとのこと。

きっと数年後には見慣れた景色になるのでしょうね。

見慣れてきたスマホ時代の喫茶店での風景。

2人で来て、2人ともそれぞれスマホを見ていたとする。

2人で来て、2人ともそれぞれ本を読んでいたとする。

前者はなんとも言えない違和感がある。一言で表すなら".美しくない"なのだが…がデジタルネイティブにはこの感覚が伝わらないかもしれない。

この美しくないは、2人ともそれぞれのsnsを見ていて"ここに居ない" "ここにいる意味がない"という感じの事を指すのだが、例えばスマホで2人とも電子書籍を見ていたらどうだろう

「"本"を読んでいるのと何が違うの?」

そう問われたら論理的には説明ができない。感覚、美学の問題でしかない。

一冊の雑誌を真ん中に置いて、2人で指差しながら見ている風景。全員が100パーセントここに居るという光景。見なくなったなあ。

それから数日後、手の甲チップと真反対の人間が現れた。20代の青年。なんと冷蔵庫を持っていないと言う。テレビ、炊飯器、レンジはもちろんだが、洗濯機もないそうだ。

ただし、面白いのが掃除機は持っているとのこと。「箒だとどうしても埃が舞い上がってしまうので…」こだわりのポイントは十人十色。

文明社会への反抗という訳でもなく、これで不自由なく生活できているからという形にただ収まっただけらしい。

デジタルネイティブの一部からは、リアリティーを渇望するムーブメントが生まれるのではないだろうかと思う。(なんだかルー大柴みたい…笑 カタカナ語を使わないって難しい)

省略されている部分に在ったはずのもの。見えないけれどあるはずのものを見たい。時が育むもの、過程の美しさを見たい。

論理的に説明できない、そんな感覚や美学に惹かれる人間が消えることはきっとないだろう。

ニセコの彼とはその夜、共感し合える話題である元気をもらったあの食事の天むすの話をして懐かしんだ。それと彼らが初めてクラシックに来た時の話もした。

その翌日、なんと年に一度来るかどうかのその店主が現れたのだ。そして、なななんと、彼らをクラシックに連れてきた人たちも5年ぶりくらいに来た。

嘘みたいな本当の話。

万物すべて、小さな神とともに生きているんだ。笑いながら、小鳥屋のおじさんは言った。
おじさんは左手がなかった。戦争に行って無くした。
でも、あるんだよ。
そう言って、おじさんは右手で、左手のあった場所を指さした。
この何もないところに、いまも左手の小さな神がいる。
ツツーピー、ツッピー、四十雀が叫んだ。
わたしは、小鳥屋のおじさんにおそわった、何もないところにいる小さな神の存在を信じている。
壁のカエデとカツラの落ち葉を見ると、思いだす。
この国の、昭和の戦争の後の、小さな町々には、すべてのことを自分自身からまなび、「視覚は偽るものだ」と言ったエペソスのヘラクレイトスのような人たちが、まだいたのだ。
子どもたちのすぐそばに。
長田弘 金色の二枚の落ち葉

合理的?論理的?

次の世代がそれを選ぶのならそれで良いけれど、小さな神を信じない人がほとんどを占める社会は生き辛そうだ。

「便利は偽るものだ」子どもたちのそばで、そんな事をぼやいていたい。

SFの世界のものだったのに、生きているうちに現実的にやってきそうな脳内チップ義務化のその日までは、オールドファッションおじさんで在り続けたい。

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